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2010年3月 7日 (日)

BUD BOY「春待夜」〜東大寺修二会・幻想〜 ③

「・・・そんなに気になるのか?」
「え、ええっ!?」
「お前は東皇使だからな、春を呼ぶ祭事に異変があれは気もそぞろになろう」
 ぼんやりしていた理由をこの地に漂う邪気のせいにされ、一瞬ほっとしたものの、なにか複雑な心境だった。
『蕾・・・』
 何かしらやり切れない想いを抱きつつも、己が感じているような複雑で弱々しい感情を全く持ち合わせていない強靱な精神(こころ)の表れでもあるその大きくて意志の強い蕾の眼差しに、東雲は辛うじて小さく安堵のため息をついた。
 風はおさまったものの、寒の戻りは厳しく、それでも雪の舞う中、炎が乱舞し松明が走るたび、人波も替わり、歓声は途絶えることがなかった。

 底冷えの寒さの中、十三日午前二時前、雅楽の演奏の中を六人の練行衆らが蓮たいまつの先導でしずしずと石段を下り、二月堂下の閼伽井屋の若狭井からお香水を汲み上げる。
 担い桶に入れられた香水は、講社の人々により三度にわたって二月堂へ運ばれ、堂内で香水壺に納められる。しかし・・・。
「水取りは秘儀とされ、すべて暗闇の中で、限られた者達だけで行われる。・・・やはり誰も気づいていないようだね」
「ああ、人間の作る結界などたかが知れている。ましてや自分達の生み出した邪気を感じるどころかそれがこの秘儀を邪魔しようとしているなどとは思ってもいまい」
 深夜にもかかわらず閼伽井屋の周囲には、厳粛な儀式を見ようと多くの参拝者が集まっていた。しかし誰一人としてこの場に漂う不穏な邪気に気づく様子はなかった。
「まずはあそこから追い出さないとな」
 言うと蕾と東雲はすっと暗闇に紛れ込んだ。練行衆たちがたどり着く前に邪気の主を閼伽井屋から引きづり出さなければならなかった。

「いい加減姿を現したらどうだ」
 痺れを切らせたかのように吐き捨てる蕾の声に、空気が微かに振動したように思えた。
 果たして蕾たちの思惑どおり、それはそこに存在した。
 禍々しい気配に、蕾が大きな目を細め静かに衝撃波を与えた一角、深い暗闇から更に黒い影が動いたかと思うと、ついにそれは姿を現した。
 痩せ細った体に痩けた頬、振り乱されぼさぼさにもつれた長い白髪。大きく見開かれた充血した目は死んだ魚のように濁り、大きく曲がった背中のせいで身長は半分になっている。骨を浮かび上がらせた体にはボロ布をまとい、異様に長い、骨と皮だけのような細い手足を持った怪魔が、だるそうに体をゆらゆらと揺らしながら二人の前に現れたのだ。
「忌々しい。春の匂いがプンプンしおる」
 開口一番、そんなことを口走った怪魔に、東雲は表情を曇らせた。
「普段は枯れた井戸もこの日だけは若狭国の水が沸きよる。それを枯らせて儀式が失敗に終われば人間どもはさぞや落胆し、悲しむことだろう。そうすれば人間どもの元に春はやってこない。くるのは深い悲しみと絶望だけだ。そうしてそれはやがて怒りや憎しみに変わり、ワシの糧となる。もろいものよのぉ、人間の心なぞ」
 独り言のように呟きながら、怪魔はおっくうそうに二人を睨みつけた。
「お前たち、何者だ?」
「オレは天界の御大花将、天地の花々を恙なく咲かせる者。こいつは東皇使。春の使いだ」
「花を咲かせる者と春の使いだと?どうりで嫌な匂いがするはずだ。だがワシの邪魔はさせん。井戸を枯らす前にまずはお前達を枯らせてやろうぞ」
 怪魔はいやらしい笑みで口元を歪めると、その姿は閼伽井屋の暗闇から消え、いつしか雪もやんでうっすらと輝く月明かりの下に移動した。それをすぐさま二人も追った。
「まもなく水取が始まる。あまり手間をかけさせんでくれよ」
 怪魔は二人を見くびるようにニヤリと笑って見せた。
「それはこちらのセリフだ」
 蕾は目を細め、怪魔を見下ろすように睨みつけた。
 月が小さく光を落とす中、ついに二人は邪気の元凶と対峙した。長年の人々の昇華しきれなかった負の心の化身を、春を待ち望む全てのもの達のために祓い、取り除かなければならなかった。
 辺りを包む空気はざわめき、昼間の人々が残していったそれぞれはごくわずかだが、互いに結びつき大きく膨れあがった邪気が一所に集まろうとしているのがわかった。
 怪魔は大きく曲がった体をさらに丸め、ぐぐっと力を込め始めた。すると骨と皮だけの体に肉が付いていくかのように何やらぼこぼこと無数のものが浮きだしはじめた。そこここに存在するあらゆる邪気を取り込みながら、すでに蓄積している計り知れないほどの邪気と融合させる。するとそれは怪魔の体の表面に形となって現れはじめるのであった。
 低い、無数のうめき声のようなものが怪魔の全身から聞こえてくる。何事が始まるのかと、油断せぬよう様子を窺っていた二人の目の前で、怪魔の姿は変容した。
「これは・・・!?」
 いや、姿形が変容したわけではなかった。腕、胸板、背中、変容させたと思わせるほどに怪魔の体表に現れた無数のそれは、呻き苦しみ、または泣いている無数の人の顔、即ち人面瘡であった。見るもおぞましいその容貌に、二人は一瞬息を呑んだ。
「人間どもの三毒は実に心地よい。おまけに怒り、苦しみ、嫉妬、様々な負の感情がワシの命の糧になる。ほぉれ、また新しい人面が生まれよる」
 そう言い新たに漂う邪気を取り込むと、怪魔の頬にぼこぼこと苦悶の表情を浮かべる新しい人面瘡が現れた。
「三毒とはなんだ」
 怪魔の変容にほんの少し顔をしかめながら、蕾が東雲に小声で話しかけた。
「人間の心を蝕むもっとも根本的な煩悩のことで、貧欲(とんよく:むさぼり)、瞋恚(しんい:いかり)、愚癡(ぐち:教えを知らないこと、無知)の三つを言うんだよ。だけど人間の煩悩はそれだけではおさまりきれるものではない。悲しみ、憎しみ、恨み・・・様々な負の感情が罪過を積み重ね、災禍を生む。それを懺悔し幸福を呼び込もうとするのが修二会の懺過の法要なんだ」
 怪魔の体に現れた人面瘡の中には泣いているもの、怒っているもの、叫んでいるもの、年若い者、年老いた者など、男女の区別なく様々な負の感情がひしめき合っていた。
「おきれいな天仙とて例外ではないわ。ほぉれ、見るがいい!」
 そう言って怪魔は握りしめた両手の拳をすっと二人の前に付きだすと、手のひらを正面に向けた。むくむくと皮膚が盛り上がり、しばらくするとそれは新たな人面をかたどった。
「何!?」
 それを見た蕾が思わず叫んだ。
「!?」
 東雲は息を呑み、一瞬、全身の血が引いていくのを感じた。そして驚きのあまり声すら出ないようだった。
 果たして怪魔の手のひらに現れた人面瘡は、もんどり打ったように眉をひそめ苦悩する東雲と、悔しそうに顔を引きつらせた蕾の顔であった。
「これはお主らの『迷い』、そして『妬み』だ」
 思わず東雲は一歩後ずさった。明らかに動揺しているようだった。体が小刻みに震えているのが蕾にもわかった。
「ばかものっ!!怪魔の口車に乗せられるな!」
 呆然とする東雲に、蕾は目が覚めんばかりの怒号を浴びせかけた。
「ご、ごめん・・・」
 蕾の怒鳴り声に我に返った東雲であったが、己の負の心を捕らえられた気がして、焦りをかくしきれず、どう対処していいのかわからなくなっていた。
「つまらぬことをしおって!」
 蕾の瞳にみるみる怒りの色があらわれた。
「春など訪れさせてなるものか!」
 春は季節としてもたらされるものだけではなかった。人の心の中にも様々な形で春は訪れる。たとえ季節が極寒の冬であったとしても、春を与え、また自らも感じることができる。それらすべての「春」を司る東皇使に怪魔は躍りかかった。
「うわぁっ!」
 神樹からなる守護の杖を手にすればかわせないはずのない動きに、東雲はあっけなくその牙の餌食となり、肩に一撃を受け大きく後方にはじき飛ばされた。
「東雲!!」
 それを見た蕾が椿の花を片手に怪魔に飛びかかった。しかし怪魔は以外にも身軽な動きでそれをかわすと、あざ笑うように蕾を挑発した。
「貴様!」
 蕾はギリギリと奥歯を噛みしめた。
「人間の負の心を利用し、春の訪れを阻止せんと計ったばかりか、永帝の皇子でもある東皇使にまで手を掛けようとするとは、このオレを怒らせたこと、その身をもって後悔させてやるぞ!!」
 怒りをあらわに、蕾は造花の椿を胸元に構えた。

To be continued

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