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約束-風の竜・水の竜- Prologue

約束-風の竜・水の竜- Prologue

 限りなく続く緑の森から流れ来る、豊かな水と肥沃な土。世界のほぼ南に位置する、気候も温暖なけっして小さからぬ街、セレア。街の中心に造られたすり鉢状の闘技場は、年、数回行われる闘技会で賑わい、街に潤いをもたらす。
 この街に一年ぶりに訪れた者があった。白いフード付きの長衣に身を包んだ年若き魔法使い-サイファ。魔王の支配する闇の世界を光りに返した一人…。彼の顔はこの時、再会の喜びと期待に輝いているはずであった。しかし、その表情はそれとは裏腹に不安に満ちた、険しいものであった。
 いやな予感…。
 この記念すべき日には似つかわしくない、感情の高まりであった。
 サイファはふと、空を見上げた。
「雨がくる…」
 空には眩しいばかりの太陽が輝き、雲一つさえ見当たらなかった。

 夕刻頃から降り出した雨は徐々に激しさを増し、衰える事なく大地を叩き、広大な森を潤していった。
「まだ来ないのかい?」
 夜半過ぎ、宿屋を兼ねた酒場の片隅で、蝋燭の炎だけを見つめていたサイファに、心配で眠れない、といった様子の宿屋の女主人が訊ねた。
 一年前、クルザの山へと旅立った彼らを見送ったのはまさしく彼女であった。魔王が封印された後、前魔王に連れ去られたという彼女の娘、ディーナは光の力で事なきを得、無事この地に戻り、また、魔王の器になっていたサイファの双子の兄、ロイも無事に彼の元に戻ることができた。そして二人はこの地を離れ、共に新たな生活を始めていた。

 「約束」の刻はすでに過ぎていた。彼女が「約束」を忘れるはずはなかった。世界を闇に陥れようとしていた魔王を、竜の宝玉により、封印した光の申し子。アニス-。
あの日あの時、再会の約束の魔法を彼にかけたのは、他ならぬ彼女であったのではなかったのか?その彼女がこの地に現れなかったのは何ゆえだろうか。

『一年後、セレアの街で!あの宿で!!』
新しいこの世界の地図を携えたアニスの笑顔が、サイファの脳裏に鮮明に浮かび上がった。

 ゴォォォォォッ。
 突然表で凄まじいばかりの風がうねり、扉が壊れんばかりに勢いよく開いた。風が雨の飛沫を吹き上げ、蝋燭の炎をあっというのに消してしまう。女主人は恐ろしさのあまり、悲鳴を上げてその場にしゃがみこんだ。
 戸口には暗闇を背に、一人の背の高い、男らしき人物が立っていた。
「…」
 サイファはその人物を怪訝そうに凝視した。その者は雨を避けるように濃い緑色のフード付きの長衣を頭からすっぽりと被り、うつむいているせいで表情は窺えなかった。不思議なことに、その者の体の回りをゆるやかな風が、まるでその者を守っているかのように旋回していた。
「彼の者は蛟竜の手に落ちた」
 低いしわがれた声が空気に反響した。
「ロータスか!?」
 ただならぬ者の正体に気づき、声の主を確かめるサイファ。
「いかにも。我が名はロータス」
「なぜお前がここに…」
「参らせよ、主よ」
 ロータスと名乗った人物は、サイファを主(あるじ)と呼び、サイファの質問には答えずに、一方的に話を続けた。
「彼の者の命は魔法の板挟みになり、危うい状態。今すぐ参らせよ。このロータスがお連れ申す」
 言うと、ロータスは踵を返した。ロータスの言う意味が何を示すのかが解ったのか、サイファは弾かれたように表に飛び出した。
「…!」
 不思議な言葉で会話をしていた二人を、何が起こったのか訳が分からず、頭を抱えながらも見ていた女主人は、雨の中飛び出して行ったサイファを追って同じように表に飛び出した。
 バサバサバサッ。
 その視線の先にサイファは居らず、見上げた上空に初めて見る竜の羽ばたく姿があるのみだった。


 暗闇の中、その身を風に護られ、吹きすさぶ雨をひとしずくも体に受ける事なく、サイファはただ一点だけを凝視するかのごとく睨みつけていた。彼は今、セレアの宿屋に彼にかかわる者の危機を知らせに来た、ロータスと名乗る奇妙な人物の背にまたがっていた。その体はサイファよりも数倍大きく、背や手足は堅い深緑色の鱗に覆われ、左右には鉤爪のついた巨大な翼がはためいていた。
 この世で最も賢く、ずるい生き物。古の言葉を話し、風と炎を操る太古よりの生き物、竜であった。

「ロータス、アニスの身に一体何が起こったというんだ」
 サイファは一点を睨みつけたままロータスに訊ねた。
「…トープの島に住む魔法使いの噂をご存じか」
 サイファの質問に、ロータスは直接的には答えずに、そのしわがれた声で逆に問いかけた。
「…エクセルか…」
 一瞬言葉につまり、視線を伏せ目がちに落としながらサイファは呟いた。
 世界の東の果て、トープ島に水竜を操る魔法使いが現れたという。真実の力をその目にした者は一人もいなかったが、その魔法使いの出で立ちは全身黒づくめで、この世界を闇に陥れた魔王を連想させるものだった。彼は人々に接する事なく、利益も与えなければ、危害を加えることもなかった。しかしそんな彼を島の人々は恐れ、決して近寄ろうとはしなかった。
 ただ一人、島人たちと離れた場所で、静かに暮らしていたという。年の頃はちょうどサイファと同じくらいだろうか…。
 そんな風の噂を聞いたのは、半年くらい前だったような気がする。その魔法使いがなぜアニスを…。言いようのない不安がサイファの胸をしめつけた。
「主よ…」
 ロータスはサイファの視線を促した。セレアの街を遥かに離れ、いつしか風雨もおさまり、眼下には小さいが緑の色濃いトープ島が見えてきた。
 水面が、昇る朝日に徐々に輝き白く染まっていく。魔王が封印された後、この光景にどれだけの人々が喜び勇んだことだろう。ただ、朝日が昇って行く、それだけの出来事に…。
「エクセルの目的は恐らく我が主。心してお会いなされませ」
 ロータスはサイファを浜に降ろすと、あっと言う間に風に溶けるように飛び去ってしまった。あとに残されたサイファは呆然と浜に立ち尽くし、海からやってくる潮風に何かを感じ取ろうとしていた。

 ゴォォォォォォォォォ…ッ!
 その時だった。先程まで穏やかに島全体を包んでいた朝の日差しが、突然わき出た暗雲にかき消され、サイファの頭上をねっとりと覆っていった。その様子を冷静に見つめながら、サイファは内陸に向かって進んで行った。
「やはり結界か」
 いくらも歩かないうちに、力の壁に弾かれ、サイファは振り返った。そこはもうトープ島のある海ではなく、異質な、しかしどこか懐かしさを感じる海だった。
「サイファ…」
 いつの間にか目の前には年若い男が一人立っていた。背は高く、少し長めの黒髪を後ろで無造作に束ね、黒く長いマントを羽織っていた。
「…エクセル…」
 サイファの声は重たく、切なささえ感じとれた。
「何年ぶりかな」
 エクセルは口元にかすかに笑みを浮かべた。しかし瞳にはサイファに対しての懐かしさとか、嬉しさの色はうかがえなかった。いや、ある意味では喜びに満ちていたのかもしれなかった。
「お前のことを忘れた日など、一日たりともなかったよ」
 サイファは笑顔を向け、恐らく得ることの出来ない答えを求めた。
「俺は忘れていたさ。ああ、思い出したくもなかったよ。思い出しさえしなければこんなこと…」
 エクセルは最後の言葉をかみ殺した。
「魔王を封印した魔法使いの話を聞いたよ。すぐにお前だとわかったさ。なんたってお前は学園一の優等生だったからな」
 エクセルは瞳に皮肉の色を浮かべて言ってみせた。
「お前のことを思い出したとたん、俺はいてもたってもいられなくなった。知ってるか?俺はあの日から一人で様々な魔法を習得したのさ。竜の護る魔法の書を命からがら手に入れた。魔法の剣があると聞けば、その持ち主がどんな賢者であっても、力の限り奪い取った。あらゆる魔法をこの手に、果ては一匹の水竜を従えるまでになった。そう、お前に復讐するためにな…!!」
 エクセルはさも自慢げに語った。しかしその顔も次第に怒りの色を浮かべはじめ、鋭い眼差しでサイファを睨みつけた。
「ちがう、あれは…!」
 バシッ!
 手を差し出そうとしたサイファの目の前で火花が散った。
「今さら言い訳など聞きたくない。今のお前が何と言おうと、お前が俺を裏切った事実だけは消えないのだから!!」
 今、エクセルを支配していたのは紛れも無く憎しみの感情だった。忘れられるものならば忘れていたかった。思い出せばどうなるか、自分でもわかっていたから。しかしエクセルの中に、憎しみと、それに相反する感情が共存していることに、まだエクセル自信は気づいてはいなかった。
「…それで彼女を?」
 サイファは少し悲しげに首をかしげた。
「そうだ。魔王が封印されたとき、お前の他に女戦士がいたと聞いた。光に属する者だそうだな。そしてその女とお前の『約束』のことも」
「彼女は関係ない!」
 サイファは少し焦ったように早口で言った。
「…あまり人に固執しなかったお前、だがあの女は別だと感じた。『約束』をかわすくらいだからな」
 約束…。それはこの世界で最も神聖で強大な力を持つ魔法。時には一瞬にして人の心を破壊してしまう程の力を持つ魔法だった。その魔法をサイファとアニスはセレアの街で別れ際、交わしたのだった。
「お前にあのときの俺と同じ気分を味わわせてやるさ。そして泣き叫び、わめくがいい!オレは…、ただ助けたかっただけなんだ。なのにお前はオレを裏切った!お前のせいでオレは学園を追放されたんだ!!」
 エクセルはやり場のない悔しさを、すべてサイファにぶつけようとしているように見えた。
 エクセルの心を映しているかのごとく、結界の中は黒く、激しく、二人の周囲を渦巻いていた。

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「サイファ、サイファ!」
 長い廊下を息せききって走ってくる少年がいた。
「エクセル?」
 書庫で本をあさっていたサイファが振り向くと、そこには嬉しそうに笑みを浮かべたエクセルがいた。
 ここは世界の中心、ロサンの町にある魔法学校であった。ここには各地から集まった沢山の魔法使い志願者たちが天理や万物の名前、そして魔法の言葉を覚え、賢者たちに認められた者のみが卒業することを許された。したがって、途中で挫折する者もいれば、魔法を邪まなことに使おうとする者などは得た言葉を取り上げられ、学園を追放された。
「新しい魔法を覚えたんだ。火に属する魔法の一種なんだけど」
 顔をほころばせながらそう言うとエクセルは両手を高く上げ、目をつむり神妙な態度で魔法の言葉を語った。
「…う、あれ?」
 掲げた掌からは炎が巻き起こるはずだったのだが、その指先からは煙り一筋さえ出てはこなかった。
「ぷぷっ」
 そんなエクセルにサイファは吹き出した。
「おかしいなぁ、こんなはずじゃなかったのに」
 言葉をまちがえたかなぁと、両の掌をまじまじと見つめながら首をひねるエクセルに、さらにサイファは吹き出した。
「エクセル、君には炎の魔法はむりだよ」
「え!?」
 一瞬ムッとしてエクセルはサイファを睨んだ。
「君には水の魔法がむいてる。性質的に君は炎より水なんだ。この前賢者たちもそう言っていただろ?」
 サイファは穏やかな顔であっさりとそう言ってのけた。何の悪気もなく、ただエクセルのことを思っての言葉だった。
「そっか…。やっぱりそうなのかなぁ」
 そんなサイファの言葉をエクセルは素直に受け入れた。
 様々な魔法を覚えなければならない彼らにとって、自分の本質を見極めることはとても大切なことだった。本質を見極めることは即ち、その者に合った魔法を見つけることにつながるからだ。
 彼らはこの魔法学校で出会い、競い合い、しかし互いに認め合った仲間だった。そして将来有望視されていたこの二人、サイファは「風」、エクセルは「水」の魔法使いになると言われていた。


「何者かが時間の理を破りおった!」
 それはサイファ達が卒業を間近に控えたある日のことだった。
「ちがう、彼はちがうんだ!」
 学園の賢者たちが慌ただしく、一斉に動き出した中、サイファは必死に弁解しようと賢者たちにすがりついた。しかしそんな行動は彼らの前には何の意味も持たなかった。
「エクセルーッ!」
 サイファは声の限り叫んだ。

 ベッドの上に横たわる女性がいた。年の割りに老けて見えるのは病に体が蝕まれているせいだろうか。体は細く、息もかすかだった。そしてその横で彼女の手を力強く握っていたのはエクセルだった。
「母さん…」
 その女性の命は今まさに消えようとしていた。
「オレは母さんが元気になるならなんだってする。たとえ世界の理に反することをしてでも!」
 表に出るとエクセルは両手を高々と上げ、魔法の言葉を発した。それは長く複雑なものだった。言葉が進むにつれ、空はその上空だけ渦を巻き、大地や木々は徐々にぐにゃりと歪んでいった。
 時の理…。どの世界にもそれを破る者が居てはならなかった。
 自らの力の圧迫に顔を歪めながらもエクセルはさらに力強く言葉を続けた。
「エクセル!だめだエクセル!!」
 マーブルに歪む空に目を細めながら、サイファは一瞬戸惑った。
「エクセルーッ!」
 次の瞬間、サイファは真白い光を掌から発していた。その光りは歪んだ空間よりも大きく広がり、浸透し、ゆっくりと包み込んでいくように徐々に小さくなって消えていった。
 後には緊張の糸が切れたかのように、力無く大地に座り込んでいるエクセルがいた。サイファはその傍らに立った。
「時間を曲げてはいけない。たとえ君のお母さんが助かっても、君自身や他の人々、世界に何らかの影響を及ぼすことになる」
「じゃあ、オレの母親は死んでもいいというのか」
 うつむいたまま、かすかに肩を震わせながら呟くように言った。
「そうじゃない。そうなるべき者の道を曲げてはいけないんだ。曲げてしまっては世界の均衡が保てなくなる」
 サイファは必死でエクセルの心の暴走を止めようとしていた。
「世界の均衡がなんだ、他の人間がどうなろうと、知ったことじゃない。オレはただ、母さんを助けたかっただけなのに…」
 エクセルは涙をこぼすと、拳を強く大地に叩きつけた。
「お前さえいなければ、お前さえ邪魔しなければ…」
 その後、エクセルは学園を追放され、さらにロサンの街をも追放されたのだった。