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光の領域 -旅のおわりに-(後編)

光の領域 -旅のおわりに-(後編)

 木々は侵入者の存在にざわめき、風はその匂いを森中に運んいく。草むらのかげからはいつ飛び出そうかと頃合いを見計らっている魔物が数知れず…。迷い込んだ人間の記憶を消し、糧にしてしまう彼らの領域。シスの森。その森の中でアニスは途方に暮れていた。いや、そう言い切るには少し様子がおかしかった。

「誰かの後を追っていたような…えーっと、誰だっけ…誰…」
 そこでアニスははっとなった。
「あたし、誰?何してるの?」
 たちまち得も知れぬ不安に襲われ、訳がわからないまま歩きだした。その背後から「闇」がジワリジワリと迫っていることも気づかずに。

「アレク…アレク…」
 アンブローシアの頭の中は幼なじみで婚約者の、アレクサンドラ・レヴァインのことでいっぱいだった。わき目も触れず、ただひたすら自分の目の前にある道を急いだ。その先には果たしてアレクがいるのか、それすらもわからないのに。
「?」
 次第に足もとに小石のようなものがゴロゴロしはじめたのに気づいた。大小の砂利を敷き詰めたような道。アンブローシアは一つ手にとって見た。
「水晶?」
 それはガラスの塊を砕いたようなかけらだった。
「?」
 しかしそれは光の角度を変えると、全く見えなくなってしまう不思議な水晶だった。噂に流れていた水晶とはこれのことだ、と悟ったアンブローシアは更に先を目指した。
 この水晶の道をたどって行けば、もしかしたらアレクに会えるかもしれない。そう思ったからだ。
「アレク…」
 アンブローシアは必死だった。しばらく行くと道が広くなり、かなり開けた場所に出た。そこにはいくつもの水晶の柱が立っていた。よく見ると、その中には人間が眠っているではないか。それもいくつかは見たことのある顔。つまり、アンブローシアの住むアリコットの住人だった。
 夕刻の光が水晶の広場をほのかに照らした。すると光の当たった水晶は不思議なことにその姿を消し、その存在を無くしてしまった。反対に陰になったところからは、また別の人間が眠っている水晶の柱がすうーっと現れたのだった。
「!?」
 その一角を見てアンブローシアは息を呑んだ。
「アレク!」
 そこには二年前から行方がわからなくなっていた、彼女のフィアンセの眠る姿があった。「アレク!アレク!」
 アンブローシアは水晶の柱に駆け寄り、その表面を力いっぱい叩いた。
「目を開けて!アレク、迎えに来たの!」
 一生懸命呼びかけるが、水晶に閉じ込められて眠るアレクはピクリともしなかった。


「ここはどこなんだろう…」
 アニスは高まる不安と恐怖にさいなまれながら、森の中をただ彷徨っていた。
「!?」
 不意に前方に人影が見えたような気がした。その時後ろの闇が動いたのに気づいた。恐ろしくなったアニスは人影を目指して駆け出した。腰に下げている剣の存在をも忘れてしまったかのように。
 思わず駆け出したアニスの目の前に現れたのは、一人の若い男だった。顔には血の気がなく、表情もなかった。
「ギギーッ!」
 幾種類もの魔獣の声が、獲物を見つけた喜びにふるえている。無数の赤や緑に輝く目らしきものも茂みのかげから覗いていた。
 瞬間、背筋が凍った。
「助けて、魔獣がやって来るわ!」
 アニスはその男にすがりついた。
「!!」
 振り向くと、牙を剥き出しにした魔獣たちが、唸りをあげて数メートル先にその姿を現していた。
「たすけ…」
 もう一度アニスが男の顔を振り返った時だった。
「きゃ…っ!」
 男はアニスの首に手をかけ、ギリギリと締めはじめた。
「や…くる…し…っ」
 男の怪力にアニスの体は宙に浮かんだ。苦し紛れに足をばたつかせ、両手で男の手を掻きむしった。しかし男の力は一向にゆるまず、だんだんと遠くなっていく意識の中でアニスは男の顔を微かに見ることができた。男はニヤリと笑っていた。
 パシッ!
 突然男の前で光が弾けた。とたんに男はうずくまり、苦しそうにうめき声をもらした。苦しさから解放されたアニスは、咳き込みながらも自分の後方を見た。またもや一人の男が立っていた。
「退け!」
 男は手のひらにゆるやかな光を漂わせながら、それを魔獣の群れに示した。すると魔獣はその光が恐ろしいのか、悔しそうに眉間の辺りに皺をよせながら後退して行った。
「アニス、大丈夫か?」
 男はアニスに駆け寄り手を差し出した。
「ありがとう。でもアニスってあたしのこと?」
 その手を取りながらアニスは言った。
「そうか、森の毒気にやられたな。この森は別名“忘却の森”というんだ。迷い込んだ人間のすべての記憶を奪い去ってしまう。あんた、みんな忘れてしまったのか?忘れてしまってもいいのか?」
 サイファはアニスの肩を力強くつかんだ。
「忘れちゃいけないことがあんたにはあるはずだ。とても大切なこと。そう、何よりも大切なことが!」
 アニスは呆然としたままだった。
「アニス!!」
 サイファがアニスの名を呼んだときだった。それは普段使われることのない妙な発音だった。しかしアニスはそれに反応した。
「忘れたくない…忘れちゃいけないこと…大切な人達…いっぱい…」
 アニスの肩に置かれたサイファの手から、白いオーラのようなものがゆらりと出た。それは空気のようにやわらかく、アニスの体をゆっくりとつつんでいった。
 アニスは目を閉じた。悲しかったこと、辛かったこと、嬉しかったこと…。それらが一瞬のうちにフラッシュバックした。アニスの閉じられた瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。

「アニス、結界は張れるな?」
「うん」
「この森を出るまで自分の回りに結界を張るんだ。万一魔獣が出ても気持ちをしっかり保つんだ。そうすれば森の気に呑まれることはない」
 サイファの魔法ですっかり自分を取り戻したアニス。二人はその場に立ち上がった。
「ありがとう、サイファ」
 今度は素直に言葉が出て来た。サイファはアニスに笑みを返した。その時だった。
「サイファ!」
 アニスが叫んだときは既に遅く、目くらましの光に一瞬力を奪われていた男、森の番人が、今度はサイファに襲いかかってきたのだ。
「やめろ!」
 剣を抜き、森の番人に切りかかろうとしたアニスをサイファが制止した。
「や…めろ、こいつは人間だ…魔王に操られている…だけ…」
 首を締め付けられ、苦しそうにサイファは言った。
「じゃあ、どうしたらいいの!?」
アニスにはサイファのような強力な魔法が使えない。どうしたらいいのかわからず、アニスは胸元のペンダントを握り締めた。
「うう…っ」
サイファの首にかかる男の力が更に強まり、むりやり絞り出されるような低いうめき声をサイファはもらした。しかしサイファは苦しさに耐えながらも、何か考えているようにも見えた。
「…思い出した…お前の名前…!」
 薄れいきそうな意識の中でサイファは力強く呟いた。
「やめ…ろ、ハル…ハル!」
 サイファはふるえる右手の人差し指を、ハルの額の真ん中にゆっくりと持っていった。
 ピシッ!
 ハルの手がゆるんだ次の瞬間、水晶のような、ガラス玉のようなものがハルの額で砕け、粉々に散らばった。そしてそのままハルは眠るように倒れ、サイファは崩れるように倒れ込んだ。
「サイファ!」
 今度はアニスがサイファに駆け寄った。
「大丈夫!?」
「ああ、なんとか。奴の名前を思い出したおかげで助かったよ」
「よかった…」
 アニスの顔に安堵の表情が戻った。
「でも、よく森の番人の名前を知ってたわね」
 アニスは感心して魔法使いの顔を見た。
「うん、以前竜たちがこの森の噂話をしているのをたまたま聞いたんだ」
 サイファは何でもないようなこと、とでも言うような笑みを浮かべた。
 この世界ではすべてのものに名前があり、それはそのものの本質をあらわし、その名を知ることはそのものを支配するに等しかった。よって魔法使いはあらゆるものの名を覚えた。その言葉事態が魔法になるからだ。しかし、この世にすべての名を知る魔法使いはいなかった。いるとしたらそれは竜だけであった。
 親友の魔法使い、ルースが言っていたっけ…アニスはふとそんなことを思い出していた。
「そうだ、アンブローシアを探さなきゃ!」
 本来の目的を思い出したアニスは一瞬青くなった。魔法のかけらすら知らない彼女がこの森の中で一人、もしかしたらすべてを忘れて既に魔獣の餌食になっているかも知れない。
「多分、この奥の広場だろう」
 サイファがアニスを促した。
「この森に入った者は、すべての記憶を失い魔獣の餌食になってしまうか、森の番人に殺されるか、運よく水晶の広場にたどり着いても、そこに漂う妖気のせいで水晶の中に取り込まれてしまうんだ。どちらにしても普通の人間じゃこの森を抜け出るのは不可能なんだ」
 サイファは淡々と話して聞かせた。
「サイファって、この森のことよく知ってるんだね。さっきの口ぶりじゃそうでもなさそうだったのに…。」
 サイファは答えなかった。
「さっきあたしの名前、太古の言葉で呼んだでしょ?あれくらいわかるわ。自分の名前だもん。ねえ、サイファってもしかしてものすごく偉い魔法使いなの?ロサンの街っていったらこの世界の中心の都市でしょ?そこの魔法使いで、竜の言葉が解る魔法使いなんて数少ないはず…」
 走りながらアニスは話続けた。が、サイファの足が止まるのと同時にアニスの足も話も止まった。
 ほとんど日の当たらない広場に無数の水晶がころがり、幾本もの柱が立っていて眩しい光を辺りに放っていた。
「闇水晶だ」
 サイファが呟いた。
「闇水晶?」
「うん、光に属する魔法の一種なんだが、暗闇の中で輝いて、光に当てると見えなくなる。でも、ちゃんとそこに存在してるんだ。また、魔法を封印する力もある反面、癒しの薬にもなる不思議な水晶なんだ」
 言われてよく見ると、柱のあちこちがかけて見える水晶柱がいくつかあるのにアニスは気が付いた。そしてその中に人影、いや、人が封じ込められていることにも。
「アンブローシア!!」
 一つの水晶柱に寄り添うようなアンブローシアの姿があった。足の膝あたりまで水晶が侵食し、固まり、全身を覆いつくそうとしていた。
「アレク!目を覚まして、アレク!」
 アンブローシアは不思議と正気だった。そして一心不乱にアレクの名を呼んでいた。
「アンブローシア!」
 アニスたちは二人の元へ駆け寄った。
「アレクを助けて!この中に閉じ込められているの!お願い、お願い!」
 水晶の侵食はアンブローシアの腰の辺りまで進んでいた。
「サイファ、なんとかならないの!?」
 アニスは言った。剣でアンブローシアの足元の水晶を砕こうとしたが、それはとてつもなくかたく、傷をつける程度にしかならなかった。
「大丈夫」
 言ったのはサイファではなく、別の人物だった。振り向くとそこには森の番人、ハルがいた。
「ここは俺の領域。闇水晶は俺の管理する魔法だ」
 魔王の呪縛から解き放たれたハルは心を取り戻し、森に住む穏やかな魔法使いに戻っていた。
 ハルは両の手のひらを水晶に向け、太古の言葉をつぶやいた。するとアンブローシアを包みはじめていた水晶が、土壁がはがれるかのようにポロポロと落ちはじめ、同時にいくつもの水晶柱の水晶も崩れはじめた。
「アレク…!」
 徐々に姿を現していくアレクを心配そうに見つめながら、アンブローシアは立っていた。やがて足元を押さえていた水晶もはがれ、アレクの体はゆっくりとアンブローシアの方へと倒れ込んだ。
「アレク!」
 サイファやアニス、ハルも二人のもとに駆け寄った。
「しっかりして、アレク!」
 しばらくしてアンブローシアの腕の中でアレクは意識を取り戻した。
「アンブローシア…」
 目覚めて最初に見た人物の名をアレクは小さく呟いた。
「ここは…」
 言いかけたときだった。
 バキッ!
 力強く握られた拳がアレクの頬を直撃した。
「アレクのバカ!指輪なんかいらないって言ったのに!…心配して心配して、死にそうだったのに…!!」
 二年の間水晶の中に閉じ込められ、目覚めたとたんフィアンセにパンチをくらい、唖然とするアレク。サイファ、アニス、ハルも今の光景に口をあんぐりと開けて見ていた。しかし、怒鳴るアンブローシアの頬に流れるものを見たとたん、その表情がいくらか和らいだ。
「バカバカ、アレクのバ…カ…!」
 アレクは怒鳴るのをやめないアンブローシアにそっと手を伸ばし、抱き締めた。
「アレク…」
 アンブローシアもアレクを強く抱き締め、泣き続けた。


「本当にどうもありがとう」
 少し照れ臭そうにアレクは言った。
「ありがとう」
 アンブローシアも言った。
「本当によかった。でもこれからが大変だね」
 アニスは少し笑顔を曇らせた。
「大丈夫、街にはまだ何人か生き残った人達がいる。水晶の呪縛から解放された人達もいる。そしてアレクもいる」
 アンブローシアはちらっとアレクの顔を見上げた。
「みんなで力を合わせて少しずつ街をもとにもどしていくわ」
 アンブローシアの力強い言葉にアニスは安心し、再び笑顔が輝いた。
「あんたのおかげで助かったよ。あのままじゃ俺はもっとたくさんの人を不幸にしていたところだった」
 とサイファに右手を差し出したのは森の番人ハルだった。
「いや…」
 と謙虚ながらも少し嬉しそうにサイファがハルの右手を取った。
「あんた、クルザの山に行くんだろ?」
 突然何の前ぶれもなく問いかけてきたハルにサイファは少し驚いた。ハルのそれは疑問ではなく、確認のように思えたからだ。
「なぜだ?」
 サイファは怪訝そうに問い返した。
「いや…よけいなことかもしれないけど、行かないほーがいいんじゃないか…って思ってさ」
 ハルはサイファの顔をじっと見据えて言った。その瞳は真剣そのものだった。
「心配してくれてありがとう。でもオレはどうしても行かなきゃならないんだ。あそこにはオレの大切なものがあるから…」
 ハルの瞳に何を感じたのか、サイファは少し伏せ目がちに言った。
「あんたは魔王には勝てないだろう。多分…。でも、もしかしたら…。助けが必要なときは俺の名を使え。目的が果たせることを祈ってるよ」
 ハルはやさしく笑みを浮かべた。
「ありがとう」
 ハルは再びサイファの手を握り締めた。
「あんたはこいつの何?彼女?」
 突然矛先を向けられたアニスがギョッとする。
「えっ、ち、ちがうよ」
 慌てて反論した。
「じゃ、何?」
 またしても確認するかのように問いかけるハルにアニスは考え込んだ。
「えーっと、友達…というより、仲間。そう、仲間だ!」
 適切な答えだと思った。サイファもアニスも目的は同じ。クルザの山へ行くことだ。
「ふん、仲間か。それなら最後の最後まであいつのことを信じてやるんだな。でなきゃあんたも目的を達成できないだろう」
「えっ?」
 アニスにはハルの言う意味がよくわからなかった。しかし何度も助けられ、ここまで一緒に旅を続けて来た魔法使いを疑う理由など今は一つも見当たらなかった。ましてや目的は同じ、魔王を倒すこと…。
(あれ?)
 そこまで考えてアニスは何かにひっかかった。しかしそれが何であるかは今の自分には全くわからなかった。


「ハルは魔王のこと、何か知ってたの?」
 アリコットの街を後にしたサイファとアニスは再びクルザの山を目指して歩き始めていた。
「何か知ってたんでしょ!?」
 執拗にサイファに問いかけるアニスだったが、サイファは重苦しい表情を浮かべたままただ一言「いや、何も」と答えるだけだった。
 魔王のことならどんな小さなことでも知りたかった。とてつもない魔力をもつことはわかっている。しかしどんな人物なのか、また魔王につれ去られた弟はどうなったのか、魔王に関する情報は、もう既に彼一人だけのものではないのだ。サイファは何か知っている。とにかくそれを隠されるのがアニスにはとても辛かった。
「ねぇ、サイファ…」
 少し遅れがちに歩いていたアニスが小走りに駆け寄り、サイファの顔を見上げた時だった。一瞬、小さく心臓が波打ったのをアニスは感じた。
 ドクン、ドクン…。
(何、これ…)
 それは愁いを帯びたサイファの横顔のせいだった。セレアの街で見つけた旅の魔法使い。未知数の力を持ち、竜の言葉を解する魔法使い。クルザの山に大切なものがあるという。彼の笑顔で心が解放されたことが思い出された。すると鼓動が速まるのに気づいた。
「何?」
 ほんの少し強引に笑顔をつくってサイファは答えた。その笑顔に再びドキリとし、アニスは慌てて答えた。
「えっ、いや、何でも…ない…」
 何を言いたかったのかまったくわからなくなり、そのままうつむいてしまった。どうしたことか体中の血が熱くなり、顔が上げられなくなってしまった。
「…そ、そう言えば"サイファ“って名前、通称だよね。本当の名前はなんて言うの?」
 真実の名前なんてそう簡単に口にするものではない。ましてやサイファが自分に教えてくれるはずはないのに…。わかっていながらもつい余計なことを話している自分にアニスは少し苛立った。
「…今はまだ言えない…」
 サイファは小声でポツリと言った。それはアニスの耳には届かなかったので、アニスはやはり無視された、と思うのだった。
(あたしって…)
 こんなことは初めてだった。いや、今日が初めてではなかった。多分彼と初めてあった日から、鼓動は高まっていったに違いなかった。アニスは少しずつ気づき始めていた。
 その日はサイファから少しはなれ、追うように歩き続けたアニスであった。


「近づいてくる…光の輩が…近づいてくる…」
 暗黒の空を掲げながら、怪しくそびえたつ不気味な城。粗削りな岩を積み重ねたような外壁に絡み付く蔦は、まるで生きているかのように風にゆれ、回りの森は禍々しき者の住家以外考えられるものではなかった。
 クルザの山の頂上そのものが魔王の住む城であり、すべての魔物が集う場所でもあった。「大丈夫…あなたはわたしが守ってあげる…怖がらないで」
 城の最上階、最も奥まった所に設えられた王座に座る人の姿を取る者に、若い女性がまるで何かにおびえる子供をあやすかのように、そっとその者の体を引き寄せ抱き締めた。   「大丈夫…これは約束…約束よ…」
 腕の中で苦悩の表情を浮かべる者に、さらに女性はやさしく声をかけるのであった。


 ズサーッ!
 アニスの剣が閃き、サイファの魔法の光が空を斬る。
 アリコットの街を出て数日、頻繁に魔物に出くわすようになった。クルザの山に近づいている証拠だろうとサイファは言う。たしかに、アニスの持っている地図にも限界が見えてきていた。この先の道程を示すものが、もう何もないのだ。あとは人跡未踏の地、人の足の踏み入れられることのなかった土地があるだけだった。何ゆえ人は先に進まなかったのか、その先には禍々しき者の住む世界が広がっていたからではないだろうか。となると、この先にクルザの山があるのだろうか。急激に増えた魔物の数は二人を先に進めないようにつとめているようにも思えた。
「ねえ、サイファ…サイファは魔王のことで何か知ってるよね?」
 突然アニスが切り出した。アニスはどうしても彼の知っていることが知りたかった。
「森の番人ハルも何か知ってたよね?」
 サイファは表情をかたくしたままうつむいた。
「ねえ、サイファ…!」
 アニスは嘆願するようにサイファにすがりついた。
「…」
 しかしサイファは答えようとしなかった。
「サイ…」
 アニスが叫ぼうとしたときだった。
「だれ…!?」
 木陰に人影を見つけ、アニスは小さく呟いた。そして腰の剣を素早く抜いた。再び魔獣が襲いくるかと思いきや、現れたのは一人の若い女性だった。肩のあたりまでのばした黒髪はキラキラと光って見え、瞳はどことなく淋しげだった。
「あなたたちが来るのを待っていたの。彼を助けて。彼を助けられるのはあなたたちしかいないの…」
 女性はそう言うと、きびすを返し森の中へ溶け込むように走り去った。
「行こう」
 言ったのはサイファで、言うが早いか、サイファは女性の後を追い、走りだしていた。   「あ、待って!」
 アニスは何がなんだかわからず、しかし遅れをとってはいけないと思い、すぐさまサイファの後を追った。
 二人の姿は暗く先の見えない森の中へと吸い込まれ、消えていった。

「待ってよサイファ!」
 もしかしたら魔王の罠かも知れない。なのになぜサイファはこんなにもあっさりと敵地に踏み込んだりするのだろうか。ここはもう既に人々の住む領域ではない。魔獣たち、いや、魔王の領域だというのに。
 アニスは必死でサイファの後を追った。そしてやっと追いついたとき見たものは、目の前にそびえ立つ魔王の城、全ての魔が集う場所、クルザの山であった。
「これがクルザの山…」
 アニスは息を呑んだ。切り立った岩々、辺りを包む禍々しき空気、これがクルザの山。平和な街を、幸せな家族を奪った魔王の住む場所。そして全ての始まりであり、終わりの場所でもあった。
「アニス、この世界で最大の魔法って知ってるかい?」
 魔王の城を目の当たりにし、呆然とするアニスにサイファが静かに問いかけた。
「最大の…魔法?」
「そう、最大の魔法…」
 アニスはしばらく考えてみたが魔道師について習ったわけではなく、親友のルースに必要最小限の魔法を習っただけなので、答えはわからなかった。 
「魔法は言葉でできてるんだ。言葉にはいろんな効力があってね、人を簡単に傷つけたり、助けたりもできる。特に太古の言葉は効力が強くて、オレたち魔法使いは沢山の名前や言葉を覚えたよ。護り、攻撃、すべて言葉でできるんだ。」
 アニスにはサイファの言いたいことが飲み込めなかった。だかサイファは話を続けた。「この世界で最大の魔法…それは”約束“だ」
 サイファは少し笑顔を作ってそう言った。
「これからあんたが見るもの、すべてに驚かないでほしい。何があっても、あんたの弟だけは助けてやるから。多分オレにできるのはそれが精一杯だと思うから」
 サイファはゆっくりと城に向かって歩きだした。
「サイファ?」
 アニスの脳裏に一抹の不安がよぎった。
(あんたは魔王には勝てないだろう…)
 森の番人ハルの言葉がよみがえる。魔王とはそれほど強い力を持つ者なのだろうか。サイファには全く勝ち目がないのだろうか。だとすると自分の剣など何の役にもたたないのではないだろうか。アニスは体中に悪寒が走るのを感じた。
「サイファ、一体どういうことなの?あたしが何に驚くの?弟が生きてるって本当なの?ねえ!?」
 アニスはサイファの行く手に立ちふさがり叫んだ。
「信じてほしい、オレの名はロイ。魔王を倒すためにここに来た。あんたの弟はまだ生きている。必ず助けてやる。これは…”約束“だ…!」
 サイファはアニスの両肩に手を置き、力強くそう言うと、アニスを安心させるために笑顔を作った。そして再び城に向かって歩き出したのだった。
「サイファ!」
 突然真実の名を明かしたサイファ。一体この城の中で何が待っているというのだろうか。不安にかき立てられながらもアニスはサイファの後を追い、重々しい城の門をくぐった。
 二人は魔獣たちの妨害も受けず、難無く魔王の居る部屋の前までやって来ていた。
 ここに魔王が居る。数多くの街や村を闇色に変え、魔獣を操り人々を恐怖に陥れた、全ての魔物を支配するという王…サイファの兄をつれ去り、アニスの弟をもつれ去った闇の王。ついにアニスはここまで来た。長い道程の中、武闘会に出ては己の剣の腕を磨き、心をも鍛えてきた。強い意志と憎しみがなければここまで来られなかった。そして魔法使いの助けがなければ志し半ばでどこかの森の土になっていたかも知れなかった。アニスは震える手で胸元のペンダントを強く握り締めた。
 サイファは部屋の中に入ると、ためらわずに魔王のいる王座まで進んで行った。大理石のような床と粗削りな壁にその足音が反射する。
 コツリ…
 ふとサイファが立ち止まった。それに従うようにアニスも立ち止まった。数メートル先の王座にゆらりと人影が動いた。
「!!」
 それはゆっくりと王座から立ち上がり、こちらを見た。
「うそ…そんな…!?」
 瞬間アニスは愕然とした。そして今、自分の隣にいる魔法使いの横顔を信じられない、という面持ちで見直すのだった。
「サイファ…」
 アニスは相対する二人を見て、全身が震え出すのを感じた。
「一体、どういうことなの!?サイファ…!」
 これが、いくつもの街や村を襲い人々を震撼させた魔王なのか…。この、どこか淋しげな魔法使いと同じ顔を持つ者が…。
「!…まさか、サイファの探している双子のお兄さんが…魔…王?」
 アニスは思わず後退りした。サイファの双子の兄が魔王…。アニスの弟をつれ去った魔王がサイファの兄…。だとするとサイファは一体何者なのだろうか。アニスの頭の中は疑問と恐怖でいっぱいになりはじめていた。
 突然白銀の光がほとばしり、部屋の中を眩しく照らし出した。その光に我に返ったアニスはサイファの方を見た。するとサイファは両手を高々と上げ、その掌に輝く白球を作り出し、魔王めがけて力いっぱい投げ付けた。
「サイファ!」
 アニスは悲鳴にも似た叫び声を上げていた。なぜ、どういう理由で彼の名を叫んだのかはわからなかった。
 サイファが放った白球は見事に魔王を直撃したように見えた。しかしそれは魔王の眼前で弾き飛ばされた。それを見届けたサイファはすぐさま両手を上げ、再び魔法の塊を作り出し、投げ付けた。しかし結果は同じことだった。魔王は指一本動かす事なくサイファの攻撃をかわしたのだった。
 弾かれた光が辺りの壁にぶつかり、部屋の隅々までも鮮明に照らし出した。その時アニスは探していたものを見つけだしたのであった。
「マーティン!」
 それは三年前、魔王によってつれ去られたアニスの弟、マーティンの姿であった。マーティンは水晶のような透明な球体の中に閉じ込められ、生きているのか死んでいるのか分からない状態でそこにいた。
「マーティン…!」
 アニスは思わず駆け出していた。それを横目でちらりと見た魔王が右の掌をアニスに向けた。
「あぶない!」
 言うと同時に魔王の掌から闇色の渦が巻き起こりアニスを襲った。
「!!」
 間一髪それを全身ではじき返したのはサイファだった。
「くっ…」
 一瞬サイファの体が重くのしかかるのをアニスは感じた。
「サイファ…!?」
「オレのことが信じられなくなった?」
 サイファは苦笑交じりで言った。
「オレは魔王を倒すためにここまで来たんだ。光の世界を取り戻すために。もうあまり時間がないんだ…オレはあんたの弟を助けて魔王を倒す」
 サイファはゆっくりと立ち上がった。
「自分の兄を殺すの!?」
 一瞬、自分は何を言っているのだろう…とアニスは思った。
「…あれは魔王だ…」
 サイファは振り向かずにポツリと言った。そう、今目の前にいるのは、すべての魔物を統べる闇の王であるはずだった。
 魔王はまるで疲れた体を休めるかのように深々と王座に腰掛けていた。
 サイファはダラリと伸ばした掌に、またもや白い球体を作り出し、頭上にかざした。その時だった。
「まって…」
 後方で女性の声がした。振り向くとそこには、先程森で会った女性が立ってこちらを見つめていた。
「彼を殺さないで…彼は悪くないわ…」
 女性はサイファの横をゆるやかな風のように通り過ぎると、魔王の側に寄り添った。
「ディー…ナ…」
 魔王の口がゆっくり開き、彼女の名を呼んだ。
「わたしはまだ小さい頃に前魔王にここに連れて来られたの。彼が魔王になる前からわたしは彼と一緒にいたの。だから魔王のことはよく知ってるわ…。もうすぐこの器はいらなくなるの。そして新しい器はそこに…」
 ディーナは球体の中でうずくまるマーティンを指さした。
 アニスには訳が分からなかった。前魔王がいて、サイファの兄が現魔王。そして次期魔王が自分の弟であるマーティンだとディーナは言ったのだ。
「魔王は器無きもの…強い力を発揮するためには新しく若い器が必要なの。もうすぐこの体から魔王が離れるわ。その時魔王は彼を殺してしまうの」
 ディーナの頬を涙が一筋流れ落ちた。サイファは三度光の塊を作り出した。
 アニスはサイファに疑問を抱き始めていた。森の番人ハルがサイファには魔王を倒すことができないと言っていたのは、血のつながった兄だと知っていたからではないだろうか?しかし彼は本当に魔王を倒すつもりなのだろうか?いや、サイファは言っていたではないか、クルザの山には大切なものがあると…。その大切なものをこんなにも攻めることができるものだろうか?もし、今ここで魔王がサイファの兄の体を捨て、マーティンの体に憑いたとする、その時自分はサイファのように弟を攻めることができるのだろうか?たとえそれがすべての人々に、この世界によい結果をもたらすことだとしても…。
「そんなこと、できるわけがない」
 アニスは強く思った。黒い魔法に操られているとは言え、己の肉親を手に掛けることなど、できるはずがなかった。
(あんたの弟は助ける。信じてほしい。…約束だ…)
 自ら真実の名を明かした、サイファの真剣な眼差しが脳裏をよぎった。
「だめだ…殺しちゃだめだ…彼を殺してもきっと何もかわらない…だから殺しちゃだめなんだ…!もっと他に方法があるはずだよ!!」
 アニスは無意識のうちに胸元のペンダントを強く握り締た。その時だった。巨大な白球を掲げたサイファがそれを魔王に投げ付けようとしていた。
「だめーっ!!」
 アニスの悲鳴と同時に、ペンダントを握り締めた指の隙間から、サイファが放つ光よりも眩しい光が迸った。
「!?」
 驚いたのはサイファだけではなかった。大きく見開いた瞳は驚愕を隠せず、あまりにも突然のことで身動きすら出来なかったのは魔王、その人だった。そしてその光をもろに浴びたとたんに苦しみ出し、彼の体から、得たいの知れない漆黒の霧のようなものが抜け出した。
「ジェイク!」
 サイファが叫び、駆け寄ろうとした時だった。
「…!!」
 闇の魔力がぐったりとしたジェイクを襲ったのだった。しかしジェイクは傷つくことはなく、彼の上に覆いかぶさったディーナがかわりに悲鳴をあげたのだった。
「ディーナ…!」
 かすかに残る意識の中で、ジェイクは小さく叫んだ。
「約束…よ…あなたをまもるって…」
 ディーナは、力の抜けて行く両腕で精一杯強くジェイクを抱き締めた。ジェイクは頬に、彼女の涙を受けながら、不本意にも意識を失った。
 ジェイクの体から離れた魔王は、新しい器を求めてマーティンが閉じ込められている球体を覆いはじめた。
「あんたの力を貸してほしい。あんたのその力なら魔王を封じることができるかもしれない」
 意外な力を発揮したペンダントを握り締めながら呆然とするアニスに、サイファは手を差し伸べた。
「で、でもこの魔法、一度きりしか使えないって…」
 たった今使ってしまった守りの魔法…アニスの頭の中は混乱していた。
「大丈夫。それはあんたの心の強さに比例して何度でも使えるさ」
「え…?」
 アニスは驚いてペンダントを見た。ペンダントの中で浮かんでいた太古の文字がまるで炎のように燃えているように見えた。
「あんたと同じ旅をしてきたんだ、この魔法は…」
 サイファはアニスの手を取った。
「クルザの山の魔力に封じられし森よ。森の番人ハルの名の下にロイが命じる。太古よりの真の姿に還り、オレに力を貸してくれ…」
 アニスは片手でペンダントを、もう一方の手でサイファの服の裾を力いっぱい握っていた。心なしか森のざわめきも聞こえだし、いつしか二人の回りには光の粒子が漂い始めていた。それに気づいた器なきものは、恐ろしいほどの憎悪を膨らませ、二人をめがけて襲いかかって来た。
 サイファの掌に光の球体が現れた。しかしその輝きは先程の比ではなく、この世界全ての光を集めたかのようで、それが一振りの剣の形をとったかと思うと、サイファはそれを襲いかかってくる器無きものに向けて振りかざした。
 剣の切っ先から迸るまぶしい光りは一直線に走り、器無きものにぶつかり、更に凄まじい光を辺りに放った。
 グォォォォォ…
 低く、地の底から吹き上げてくる風のようなうなり声が部屋の中、いや、クルザの山に響いた。光りは更に広がり、クルザの山とそれを囲む森をも包み始めていた。その光の中で、アニスは自分のペンダントの中に、黒い霧のようなものが吸い込まれるのを見た。それと同時に、大きく広がった光のドームは徐々に小さくなり、これもまたアニスのペンダントの中に収まった。
 辺りはすっかり静かになり、二人はしばらくその場に呆然とたたずんでいた。

「あたし、一瞬サイファのこと、疑ってた。だってサイファって魔王と同じ顔してるんだもん…でもね、思い出したの。彼がサイファの大切な人だってこと…」
「ありがとう…あんたが信じてくれたおかげで、力を貸してくれたおかげで、オレはジェイクを殺さずに魔王を封印することができた」
 サイファはペンダントをそっとアニスの首から外した。
「これは、人の手が及ばない所にオレが封印する」
 サイファはペンダントを懐にしまって言った。


 森には清浄な空気と鳥の声、動物たちの安らぎと暖かい日の光が戻っていた。禍々しいクルザの山は跡形もなく、アニスは青い空を流れる白い雲を愛しそうに眺めていた。
 サイファの双子の兄ジェイクは、意識を取り戻しサイファと再会を喜び合った。ジェイクの身代わりになり、息絶えたかと思われたディーナも、サイファの魔法で何とか一命を取り留め、今は小さな魔法の水晶玉の中で体を休めている。
 そしてアニスは…。弟マーティンと共に帰路につこうとしていた。
「ありがとう…。サイファがいなかったら、きっとあたし、この瞬間を迎えることができなかったと思う。きっと魔王にも、自分自身にも負けてたかもしれない」
「いや、あんたは強かった。あんたのやさしい心と勇気があれ程の魔法を生み出したんだ」 二人は真の姿に戻った森を見渡した。
「サイファ、あたしたち、また会えるかな?」
 アニスは少し戸惑いがちながら、上目使いで言った。
「…そうだな。あんたが、この世界で最大の魔法が使えれば…」
 サイファは少しずるそうにニヤリと笑った。しかしそれを見たアニスの顔がパァッと明るくなった。
「じゃあ、"約束“よロイ!一年後、あたしたちが初めて会ったセレアの街で!あの宿で!!」
「ああ、"約束“だ!アニス!!」
 真実の名で呼び合った二人は、お互いに強く手を握りあった。

 闇の世界を光の領域にかえたのは強い心とやさしい心。

 風はやさしく空を舞い、森は人の心を暖かくしてくれる。
 アニスはこの世界を抱き締めたい気分だった。
 家に帰ったら新しい地図を作ろう。そして約束の場所に持って行こう。

 アニスは何度も何度も眩しい空を仰いだ。
 また一段と強くなった、そんな気がする旅の終わりであった。


END