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約束-風の竜・水の竜- Epilogue

約束-風の竜・水の竜- Epilogue

 二人の回りを瘴気にも似た空気が漂っていた。ここは少し前まで緑豊かなトープ島であったはずだった。しかしロータスの知らせによりサイファが訪れたここは、昔なじみが結界をはる、悲しみと憎しみ、様々な感情で織り成された異空間であった。
 そしてサイファが対峙していたのは、幼いころ魔法学校で共に魔法を学んだ親友エクセルであり、彼らの頭上に漂う球体の中で苦悩の表情を浮かべながら眠っているのはセレアの町でサイファと再会するはずだったアニスであった。
 エクセルの回りをゆるやかに気が廻りはじめた。それは水面に浮かぶ波紋のように空気を振動させているように見えた。それが体の一点、掌に集まると一つの輝く球体にまとまった。
「許しはしない」
 まるで自分自身に確認するかのようにエクセルは呟いた。次の刹那、白い球体はサイファめがけて放たれていた。少し目を細め、サイファは迫り来るエクセルの魔法をはっきりと見て取った。が…。
 パァァァ…ン!
 弾けた光りはまるで繊細なガラス細工が壊れたかのようであった。サイファは防御することもなくまともにエクセルの魔法を体に受け、砂の上に強く打ち付けられた。
「!?」
 一瞬、それを見たエクセルは困惑した表情を見せた。
 もちろん手加減などしていなかった。サイファを傷つけるためのものであったのだから。だけどサイファなら必ず避ける、避けられないはずなどないと心のどこかに確信があった。そんな、どこか矛盾する心をエクセルは否定できなかった。そして無意識のうちにそれらを確かめるかのように第二撃を放っていた。
 ドォォォン!
 砂煙をあげて再びサイファは弾き飛ばされた。
 煙が落ち着いた向こうには、ゆっくりと立ち上がるサイファの姿があった。
「なぜだ」
 エクセルの声はかすかに震えていた。
「お前ともあろう者がなぜ避けない!お前に避けられないはずはないのに!」
 自分でも何を言っているのか、エクセルにはわからなかった。
「これでお前の気がすむなら…」
 その言葉に一瞬カッとなったエクセルは三度、今度は両掌から光を発していた。
「うわぁっ!」
 三度目の衝撃に悲鳴があがった。
「うっ…」
 かなりのダメージを受けたらしく、今度は容易に起き上がることができなかった。立ち上がらなければいけない、そんな気力だけを頼りに、肩で大きく呼吸するサイファの頭上に影が落ちた。
「エクセル…」
 エクセルの掌から細い針のような光がサイファの額すれすれに延びていた。ほんの少し手を動かせば、その光は確実にサイファの額を貫くだろう。
「お前がそうしたいのなら、やればいい。だけど彼女だけは無事に帰してやってほしい」
 そう言うとサイファはゆっくりと目を閉じた。恐怖など微塵も感じとっていない穏やかな、柔らかい表情のサイファを見下ろし、エクセルは何かと葛藤しているのか、奥歯をギリギリと噛みしめるとついに掌に力を込めた。
 ヒュン!
 サイファの耳元で小さく砂が弾けた。光の針はサイファの額ではなく砂を貫いたのだった。
 エクセルはその場に力無くひざまづいた。
「ずっと前からわかっていた、お前が悪くないこと…。悪いのは俺だってこと」
 心の底から何かを振り絞るように、エクセルは呟いた。
「学園を追われたことはお前の責任じゃない。そんなことはわかっていた。そんなことが憎いのでもない。本当に憎かったのは自分自身。大切な者を守れなかった自分自身だった。わかってはいたが、誰かのせいにしなければやりきれなかった。お前のことを傷つけたいわけでもなかった。だけど込み上げてくる感情を押さえ込むのに、自分を保つためにこうするしか外に術を知らなかったんだ」
 悲しみ、怒り、絶望感、一度に襲い来た感情の渦に心身ともに幼かったエクセルはどうすることもできなかった。それらの感情をぶつけ、受け止めてくれる存在を無意識のうちにサイファに求めていたのかもしれなかった。果たして、サイファは無条件でエクセルの全てを受け止めてくれようとした。昔も今も。もうそれだけで十分だった。あの頃の二人に戻りたい、なんて厚かましい思いも当然なかった。そう望んだところで叶えられるはずはなかった。それはエクセル自身が一番わかっていることだったから。しかしサイファの思いは違っていた。サイファは子供のような無邪気な笑顔をエクセルに向けた。

「オレたちの約束を覚えているかい?」
 そう問いかけられて、エクセルは一瞬ハッとなった。そして遥か遠くに視線をやり、失いかけた記憶を呼び起こそうとした。
「いつか…いつか一緒に竜を探しに行こう…」
 そして瞳をとじると、学園の中庭で、好奇心と期待に笑顔をほころばせた少年のころのあどけないエクセルとサイファの姿が鮮やかに浮かび上がった。
「そう、あれはオレたちの約束…。初めての魔法。…二人で竜を探しに行こう!エ・リー…」
 サイファはエクセルを抱きしめるとそっと呟いた。その言葉が響いたとき、まるでエクセルにかかっていた邪まな魔法が解けたかのように、心の枷が外れたのをエクセル自信感じていた。
 エ・リー、それはエクセルの真実の名前であった。
 もう言葉は必要なかった。長い空白の時を越えて、二人はあの頃のサイファとエクセルに戻れたのだった。それはねじれた空間が、澄んだ青空と穏やかな海のある元の緑美しいトープ島に戻ったことにより証明されていた。

 エクセルがスッと片手をあげた。するとアニスの眠る球体がシャボン玉が弾けるように消え、その体が二人の間にゆっくりと降りてきた。魔法が解けた段階で、アニスは目覚めるはずだった。しかしアニスは未だに目を覚ます様子がなかった。
「アニス?」
 怪訝な面持ちでサイファが呼びかけるが、アニスは一向に目を覚まそうとしなかった。
「…オレのせいだ」
 エクセルが小さく呟いた。
「彼女はお前との約束を果たすことができなくなったショックで心の奥に沈み込んでしまったようだ」
 そう言うとエクセルはアニスの右手をとった。その中指にガラス細工のような指輪があった。はずそうとしたが、それはまるで指の一部にでもなっているかのようにはずすことはできなかった。
「約束を果たせなかった、その罪悪感が形となって彼女の心を搦め捕ってしまったんだ」
 約束、それはこの世界で最も神聖で強力な魔法であった。一年前、その魔法を交わしたアニスとサイファ。再会の約束は確実に果たされるはずであった。しかしエクセルの介入により、それは阻まれた。不可抗力とはいえ、アニスにはそれが悲しくてならなかったに違いなかった。そんな心が指輪という形をとり、自らの心を締め付けていたのであった。
 大切なものを守れなかった心の痛み、それは誰よりもエクセルには理解できた。
「このままではアニスは…」
 ロータスの言っていたとおり、アニスの心は魔法の板挟みになって壊れてしまうことだろう。
 今にも泣き出しそうなアニスの寝顔を二人は辛そうに見つめていた。その時だった。
 ザザザザザーッ。
 背後で海面が盛り上がった。美しい水柱をあげながら姿を現したのは空と海の色をした竜であった。
「スラッシュ!」
 古い友人にでも出会った時のように、エクセルの顔が明るく輝いた。彼は魔法学校の中庭の噴水に住み、エクセルにだけその姿と名を現した蚊竜スラッシュであった。しかしあの事件以後、彼はエクセルの前から姿を消していた。エクセルが全てを拒否し、彼をも必要としなくなったからだ。しかし彼はいつもエクセルのそばにあった。エクセルのそばに水が在る限り、彼が真に自分を必要とする時が訪れるまで、常に側に在りながら決してその姿を現すことはなかった。
「そは涙の結晶なり。指輪を外せるのは我が主のみ」
 美しい青い竜は、水面を渡る風のような囁きでそう告げた。
 涙、即ち水である。水の魔法を操り、水の竜を支配するエクセルにとってその指輪を外すことはある程度容易いことだといえた。
 そうと解ったエクセルは、小さく言葉を呟くと、アニスの横にひざまづき指輪にそっと触れた。キラリと光を放った指輪が、一瞬ユラユラと揺れる水面に見えた。


 晴れ渡った空を眩しそうに仰ぎ、アニスは高台からセレアの街を見下ろしていた。一年ぶりに訪れるこの街には、白い魔法使いが自分を待っているはずだった。一刻も早く彼に会いたかった。そして世界の新しい地図を見せたかった。アニスは思わず駆け出し、街の入り口へと急いだ。
 頭上で聞き馴れない声を聞いた。見上げるとそこには青い竜と緑の竜が並んで飛んで行くのが見えた。二頭が空の彼方に消えるまで見送り、ふと振り向くと、懐かしい宿屋があった。その玄関口に一人の青年が立っていた。遠目でもそれが彼だとアニスにはわかった。「サイファー!」
 アニスは一目散に彼のもとに駆け寄った。話したいことは山ほどあった。何から話そうか。そう、まずは新しい地図のことから話そう。それから、それから……。

 指輪は水となり、流れ消えた。
 かくして「約束」は果たされた。
 アニスの心をもとに戻すため、エクセルが「再会」の夢を見せたのだった。そしてそれを現実と捕らえたアニスの心が自ら指輪を砕いたのだった。


「う…ん…」
 まるで長い眠りからようやく目覚めた眠り姫のように、アニスは目を覚ました。
「あれ、あたしいつの間に眠っちゃったんだろ」
 そこは「約束」の場所であった。
 目をごしごしと擦りながら顔をあげると、そこにはロウソクの暖かい炎の中に笑顔を揺らしている魔法使いがいた。
「話の続きをしよう、アニス」
 随分長い間待っていたかのように、サイファが優しくほほ笑んだ。アニスは嬉しくなってベッドから跳ね起きると、地図を広げ、故郷のこと、友人のこと、新しく見つけた森や魔法獣、この街の入り口で見た二頭の竜のことなど、あらゆることを話した。そして二人の話は夜明けまで続いたのだった。


 翌日、白い魔法使いは再びこの地でアニスと再会すること、その時紹介したい友人がいることを告げ、「約束」を交わすと竜を探しに行く、とセレアの街を後にした。
 街の入り口で、白い魔法使いの後ろ姿が見えなくなるまで見送ると、アニスは踵を返した。そして今度はこの街で彼を待とうと思った。次にサイファと再会した時、今よりもっと素敵なことが起こりそうな、そんな予感がしたからだった。

 その日も空は晴れ渡り、緑が眩しく輝いていた。
 宿屋では女将が温かい朝食を用意して待ってくれているはずだった。
 アニスは大きく両手を広げ、深呼吸した。

 その日も世界は輝いていた…。


END