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魔法の極印

魔法の極印

 雲ひとつない青空の下、長い時間人の入り込んだ様子のない鬱蒼と繁った森を抜けると、一筋の清らかな川の流れに出くわす。遥か北にそびえる山脈から流れ来るその水は刺すように冷たく、その水面に揺れる木々は白昼夢のように神秘的で美しかった。それ程大きくも深くもないこの川を渡ると、一変して巨大な獣が口を開け、獲物を待ち構えているかのような漆黒の、先の見えない洞窟がひとつあった。入り口の下半分を雑草に覆われ、あと数年もすれば、草の成長とともにその入り口はすっかり隠されてしまったにちがいなかった。その洞窟は見る者によっては、まがまがしく見え、かつ神秘的にも見えた。
「本当にここにあるの?」
 その入り口に立った小柄な少年戦士風の少女が、隣にいる自分より背の高い浅黒い肌の少女に問いかけた。
「噂と、記された文字が本当なら…多分ね」
 答えた少女は半信半疑ながらも、ここにあってほしいと願うのだった。
 彼女ら二人が探しているものは、『竜の宝玉』と呼ばれる魔法の玉で、それには強大な魔法が封じ込められており、それを手に入れた者はその魔法を己のままに自由に操ることが許されるという。古文書にも記され、伝説になろうとしていたものだった。
 大昔より、それを手にしようと数知れぬ魔法使いたちがこの地を訪れた。が、未だにそれを成し遂げた者はなかった。そして少年戦士風の少女と女魔法使いの彼女たちは、何十年ぶりかに訪れた久々の探求者であった。
「ここには魔獣がいるらしいの。どんな奴かはわからないけど…アニス、あんたの剣の腕、期待してるからね」
「うん、でも魔法獣だったら、ルースの魔法もあてにしちゃうからね」
 二人は顔を見合わせ、にっこりとした。まるでやりかたのわからないゲームを、心から楽しもうとしているかのように。

 入り口に繁る草を剣で薙ぎはらってから松明に火を灯し、まずルースが先頭に立った。洞窟の中は漆黒の闇に塗り潰され、空気は鋭利な刃物のように澄んでいた。松明の揺れる炎が映し出す二人の影は、怪しく洞窟の壁や天井を乱舞し、今しも己の主に襲いかからんとしているように見えた。高さ2メートル、横幅は大人が二人並んで少し余裕のある程度の広さで、剥き出しの地面に比べて壁や天井は人の手が加えられたらしく、いくぶん滑らかだった。道は時には右に折れ、左にカーブし、上り坂になったかと思えば下りの階段が出現したり。もうどれくらいこの暗闇の中を歩いて来たのだろうか。闇の中では時間すらも死んでしまったかのような錯覚に捕らわれる。
 闇の重圧に苦痛を覚え始めた時だった。
「あいたっ!」
 ルースのすぐ後ろを歩いていたアニスが悲鳴を上げた。
「どうしたの!?」
 驚いて振り向き、アニスの方に松明をかざす。
「なにかにつまずいたみたい。この辺なんだかゴツゴツしてるから」
 洞窟に入ってからどのくらい進んだのか、先程から足元の起伏が激しくなったように感じていた。
 ルースがアニスの足元を照らした時だった。
「うっ…」
 アニスをつまずかせたゴツゴツしたものは、半ば土の中に埋もれた頭蓋骨であった。辺りをよく見ると、丸いもの、長いもの、新しいもの、古いもの、まだ衣服をまとったものと、様々な人間の骨が散乱していた。
「これは…」
「例の宝玉を探しに来て、この洞窟から出られなかった人達のものよ」
 アニスは思わず目を覆った。
 一体『竜の宝玉』とはどのようなものなのか。古より人々をこんなにも引き付けて離さないそれは、そんなに素晴らしいものなのだろうか?何かと争ってまでも手に入れたいものなのだろうか?未知なる魔力を封じた、その宝玉を…。
 何だか目的中ばで息絶えた彼らの空しい叫び声が聞こえてくるようだった。いや、実際それは二人の聴覚を刺激していた。
「オォォォォォォォォォ……」
 闇の奥か、地の底か、低く震えるような震動が二人を恐怖に陥れようとしていた。魂の叫び声…。洞窟の闇よりもさらに濃い闇がいくつもの人の形をとり、二人の目の前に現れたのだ。
「ここで死んだ人達の魂!?」
 アニスは慌てて立ち上がった。
「全き力を手に入れたかった、純真な心を持つ魔法使いたちでも抜け出るのは困難だったって言うわ。ましてやここには獣がいる。邪まな心を持ってここに入った者たちは多分、その獣に殺され、魂をここの闇の中に封じ込められたのよ。そして新たにやって来た人間を襲うようになったのよ。運良くこの場所を通り過ぎてもまだこの先に何かが待ってる…いくつか用意された難関をクリアーして行かないといけないようね」
 ルースは冷静に考え、その答えをアニスに伝えた。
「どうすればいい?こいつら長いことここの闇に取り込まれてたせいで、この洞窟の力を吸収してるはずよ」
 言いながらアニスは腰の剣を抜いた。
「オォォォォォ…」
 影たちは地面、壁、天井と、石と石の隙間から染み出る水のごとく湧きだし、その数を増やしていった。
「剣を…」
 ルースがアニスに促すと、アニスは細みの長い剣をルースの目前に突き出した。
「光りに護られし古き大地の子よ、光と風の司の名において闇の封印を解きたまえ…」
 ルースはアニスの剣を人差し指でスーッとなぞった。
「すべての闇の封印を解かないように!彼らの魂を搦め捕っている闇だけ!わかった?アニス!!」
「わかってるって!」
 言うや否や、アニスは剣を振りかざしていた。天井につっかえないように少しかがみ、人形をとる闇に斬りかかった。縦横斜めに切り裂かれた闇は、一瞬その切り口を銀の滴が弾けたように輝かせ、左右に離れ、それぞれは自分の属する元の闇へと素直に引いていくのだった。それが何回、何十回続いたのだろう、前進を続けながら捕らわれた魂たちを解放し続けたアニスたちは、いつの間にか長い廊下のような通路を抜け、開けた空洞に出ていた。もう、二人を追って来る影も見当たらなかった。

 その空洞はホールのように広く、天井も先程の通路に比べて数倍も高く、時を重ねた鍾乳石がびっしりとぶらさがっていた。
「あれが落ちて来たら一巻の終わりだね」
 天井にぶらさがる時の産物を見上げながら、アニスは呟いた。
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…
 最初は小さく、長く、それは響いていた。
「どうやらあんたには予知の能力があったみたいね。それとも予言者の血を引いてるのかしら?」
 困ったわね、と眉を寄せ、ルースがため息にも似た呟きをもらした。
「間がわるかったね、ちょっと…」
 別にあたしのせいじゃないよ、とアニスが言う。
「灯を…」
 言うとルースの手のひらに青白い炎が生まれた。
「ちゃんと支えてね」
「あたしペンより重い物持ったことないんだけどなぁ」
 肩をすくめながらアニスは両手を高々と上げた。ルースはその炎をアニスに翳し、アニスの人影を作った。その影は等身大からずんずん長く伸び、ホールの壁を伝い、天井まで達した。その姿はまさしく天井を支える巨人であった。                                ゴゴゴゴゴゴォ…
 唸りは静まる気配を見せなかった。が、ルースの魔法が生み出した巨人影がそれを支えている限り、それ以上何も起こり得ることはなかった。
 大きなホールを足早に抜けた二人は、再び先程と同じ暗い通路を進むことになった。
「…!」
 突然立ち止まったルースの背中に突進し、アニスも立ち止まった。
「何?ルース」
 今度は何が現れたのだろう、アニスはルースが見つめる正面を彼女の肩越しに凝視した。
「魔法の匂いがするわ…。多分、この先に…あるわ!」
 口元をきゅっと結び、一点を睨むように緊張するルース。ルースの腕に触れているアニスの指先からもそれはひしひしと感じられた。

 獣がいる…。古より魔法の宝玉を守り続けて来た獣がこの先にいる…。
「もどるなら今よ。でないと…多分私たちも彼らのように、ここの闇に捕らわれてしまうと思うから」
 ルースは振り向き、アニスの意志を確認するように問うた。
「あたしたちは必ず戻る!何があっても、必ず宝玉を手にして!!」
 それはこの地へ来る前、二人が交わした誓いの言葉であった。
「そうね、あたしたちは戻らなければ…」
 ルースは小さく息をはくと、頷いた。
 彼女たちの世界にも闇が迫っていた。数年前、破られた封印から目覚めた魔王により、多くの街や村が次々と闇の世界へと変えられた。そして今、その魔の手が彼女たちの住むヨーク島にまで及ぼうとしていたのだ。魔王の力を阻むには強力な魔法が必要だ。しかし彼女らにその術はなかった。島を、世界を守るためには、嘘か真かわからぬ古文書を信じ、それを頼るほか、術はなかった。大それたことだとも思った。果たして自分たちに救えるものがあるのかと、疑心を抱くのは今も同じだった。しかしここまで来たからにはどうしても宝玉がほしかった。「可能性」と言う名の宝玉がほしかった。
 警戒しながら進んで行く二人の目の前に、黄金に縁取られた台座が現れた。その上には綿の入ったやわらかい敷物が置いてあり、さらにその上に闇に輝く星のようなきらめきを放つ『竜の宝玉』があった。洞窟の行き止まり、闇の最終地点に輝くそれは、人の眠れる欲望を揺り動かすには十分なものであった。誰もがこれを目の当たりにした瞬間、我を忘れ、争い、奪おうとしたに違いなかった。それは二人にとっても例外ではなかったはずだった。
「アニス…」
 しばらくその輝きに心を奪われていたルースが振り返った。そこにはいつの間にか霧が立ち込め、自分以外のものは何も存在していなかった。

「ルース?」
 その時、アニスの身にも同じようなことが起こっていた。辺りを包む濃い霧、なくなってしまった空間…。ふと後方で声がした。
「ルース!?」
 アニスは反射的に声のするほうに振り向いた。
『おまえは何者か…?』
 白く濁る霧の中に、あらい息遣いとともに、ルビーのように真っ赤に輝く二つの眼があった。驚くことにそのひとつひとつはアニスの頭ほどの大きさがあった。獣であった。
「あたしはアニス。『竜の宝玉』を取りに来た」
 アニスはひるむ事なく、また言葉を隠す事なくありのままを正直に告げた。         『グルルルルルル…』
 獣の唸り声が霧の中で反響し、アニスを包み込んだ。それは今にも襲いかからんとする魔獣のもののように思えた。
『欲しくば、一つの魂を置いて行け』
「え…?」
 霧がゆっくりと流れ、獣がアニスの後ろを指さしたように思えた。そこには顔色を失ったルースの姿が浮かんでいた。まるで回りの霧に捕らえられているかのように。
「まさか、宝玉と引き換えにルースの命を…!?」
 アニスは唖然とした。宝玉と親友の命を秤にかけるなど、予想外のことだったからだ。
『考えはしなかったのか?』
 獣は言った。
『何をためらうことがある?宝玉が欲しくば魔法使いの魂を我に捧げよ…魔法使いは既に同意した』
 獣の口が霧の中に裂けて見えた。アニスの心臓は一瞬にして凍りついた。
「ルースが…宝玉を得るために、命を差し出すことに同意した…?」
『おまえの剣によってのみ、魂を捧げると同意した』
 獣はアニスを急かせるように言った。
『宝玉が欲しいのだろう…?』
 宝玉…とても魅力的な言葉だった。それ自体の輝きもさることながら、獣の言葉も巧みで、アニスの心を揺さぶり続けた。アニスは両肩を震えさせながら、獣とルースの間で苦悶の表情を浮かべていた。
『宝玉は既にお前の手の内にある…』
 獣が言ったときだった。
「ルースがいなくなるなら宝玉なんていらない!ルースの犠牲の上に世界を救おうなんて考えない!大切なものはみんな守りたいもの!」
 アニスは頭を大きく何度も横に降ると叫んだ。
『古より人間はこの宝玉を欲っした。なぜならこれは力の源であったから…。お前もこれを手に入れれば、何でも思いのままだ…欲しくないはずはあるまい?』
 触れたら最後…魔法使い共々お前の魂も我のもの…。アニスには獣がそう言っているように聞こえてならなかった。
 獣はどうしてもアニスを誘惑したいようであった。過去、ここにたどり着いた何人の人間がこの誘惑に打ち勝ってきたのだろうか。いや、宝玉がここに輝く限り、それに打ち勝った者は一人もいるはずはなかった。すべての者は獣の言葉に魅了され、我を忘れ、友を、そして自らを血に染める結果になったにちがいなかった。
 獣は言葉巧みにアニスの心に忍び入り、自ら宝玉に触れさそうとしていた。
『これを手に入れれば、お前は魔王に勝てる…勝ちたいのだろう?魔王に。守りたいのだろう?お前の世界を』
 獣は、まるでアニスの心をすべて見透かしたかのように話続けた。
『お前は世界の征服者にもなれるのだ…』
 この言葉はアニスの心を大きく揺り動かした。
 アニスは無言のまま腰の剣を抜いた。そしてルースの方へと振り向いた。
「あたしは、世界なんていらない。大切なものをなくしてまで、何かが欲しい訳じゃない。だけどあんたは許せない。ルースの心を踏みにじり、たくさんの純真な魂を汚し、喰らってきたあんただけは…!」
 アニスは獣の方に向き直り、剣を構えた。その顔は怒りに満ち、戦女神のように凛々しかった。
「宝玉なんていらない!伝説はここで終わりよ!!」
 言いながらアニスは駆け出し、霧の向こうの獣めがけて斬りつけた。
『無駄なことを…』
 獣の大きな眼がニタリと笑ったような気がした。が、それは次の瞬間には引きつり、洞窟の穴のようにさらに大きく見開くのだった。
『…そんな…バカな…』
 両手に力を込めるアニスの後ろで、彼女の心に触れた魔法使いが霧に縛られながらも呪文を口ずさんでいた。獣の二つの眼の間を同じ色の線が幾筋も走り、大きく広がった。己の力を過信し続けてきた獣にとって、それは驚愕以上の何ものでもなかった。人間の欲望のみの魂で生きながらえてきたものにとって、彼女たちは、異質な存在そのものだったからだ。欲望に支配されぬ、強靭な魂の持ち主たちであった。
『グォォォォォォ…』
 霧が渦巻き、アニスとルースを包み込んだ。洞窟は、内部がまるで獣そのものであったかのように震えだし、崩れ始めた。
 獣の呪縛から解き放たれたルースは、突風に吹き飛ばされ、気を失っているアニスに駆け寄り、その体を抱き寄せた。
「一刻も早くここから出なくては」
 気ばかりが焦っていた。
『持って行くがよい』
 背後で微かな声が聞こえた。それが獣のものであると知ったとき、命の縮まる思いがした。
『お前たちの、友を思いやる心に敬意を示そう…。その汚れなき魂にこそ、この宝玉は相応しい』
 そこには年老いた竜がいた。そして気がつくと、ルースの手の中に星に似た輝きを放つ小さな宝玉があった。
『その者には知らせるな。それは我が極印を押した魔法の玉。その者に相応しき極印を押した魔法の玉…使い方は何れ解ろう…』
 竜はゆっくりと眼を閉じた。
『暗黒の時代が近づいておる…』
 竜と二人の間に大きな岩が落下し、ルースは竜の話を聞き続ける事ができなくなった。
 ゴォォォォォォォォォ…
 走る後から天井が崩れ、地面は陥没していった。ルースはアニスを背中にかつぎ、必死で来た道を引き返していた。長い通路、巨人影が支える大ホール、曲がりくねり、上っては下りる迷路のような道。地響きは二人のすぐ後ろを追ってきていた。

 ドォォォォ…ン!
 暗闇の中でこだましたそれは、日の光に輝く森の中までは届きはしなかった。
 二人は伝説の『竜の宝玉』を手に入れた。しかもそれには竜自らの極印が押されていた。後に、旅立つアニスに、ルースが護りの魔法として持たせたペンダントがこれであった。
 竜が言ったように、また彼女たちが案じていたように、それは数日後にやって来た。魔王の侵略。そして旅立ち…。大切な家族を、光の世界を取り戻すために、アニスは一人旅立った。
 彼女は知らない。その身に、とてつもない力を携えていることに。そしてこれからの旅の道程と出会いを…。

 空には暗雲が立ち込め、町はすっかり闇色に変わっていた。丘に登り、それらの景色をしっかりと胸の奥に焼き付けると、決意も新たに口元を引き締め、アニスは踵を返した。

 ただ、とどまることを知らない風だけが、彼女を見送る唯一のものであった。

END