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雨降る午後

雨降る午後

 空を覆いつくす灰色の厚い雲が、大粒の雨を降らせ初めておおよそ三十分が経った。軒端を滴る雨垂れを恨めしく思いながら、池田光流は『本日臨時休業』と張り紙のされた行きつけの本屋の軒下で、雨の止むのを待っていた。季節は六月。夕方の雨は衣替えが済んだばかりの学生達にはまだまだ肌寒かった。
 ふと思い出し、シャツの胸のポケットに手を当てた。
「あちゃ~。やられたか 」
 眉間にしわを寄せ、『まいったなー』という表情で頭をポリポリと掻いた。

 放課後、生徒会室では生徒会役員会が行われていた。十分で済んだ会議の後、忍を迎えにやって来た光流、一也、瞬の三人は、忍が書類整理を終えるまでの間、ソファーに陣取り、雑談をしていた。
 光流が生徒手帳を取り出し、何やらメモしている。
「何書いてるの、光流先輩?」
 光流の背後から瞬がのぞき込み、聞いた。
「この近所にな、新しいピザの店が出来たんだ。で、ランチタイムとバイキングの時間と曜日をチェックしてるんだ」
 光流の生徒手帳のメモ欄には、十数件の飲食店の名前と電話番号、おすすめメニューの値段等がぎっしりと書き込まれていた。プラス女の子の名前と電話番号も…。 
「へえー、見せて下さいよ」
 興味深げに、一也が光流の手から手帳をすり取った。
「うわーっ!」
 数秒遅れて光流が叫んだ。そして、今しも別のページをめくろうとしていた一也の手から、目にも止まらぬ早さで手帳を奪い返した。その動作に、三人は呆気にとられた。
「さては、見られてやばいものでも書いてあるんですね」
 一也が意地悪そうな目付きで光流を見た。
「魔太郎の手帳(誰も知らんって )じゃあるまいし、都合の悪いことなんて書いてねーよ!」
 光流は手帳を胸のポケットにさっさとしまいこんだ。
「案外やらしい写真とか入ってたりしてー」
 瞬はニタニタしながら光流の顔色を窺った。
「…ん、んなもん入ってねーよ!」
 反応した。『やらしい』or『写真』に光流は反応したのである。それを目ざとく見て取ったのは、勿論忍である。一人ガラス窓にもたれ、先程終わった会議の資料を見ているふりをして、しっかり見ていたのである。
「写真…か…」
 再び目線を会議資料にやった。
 ドキッ。
 忍の一言が効いたらしく、光流は額に汗を垂らし、「ドキッ」の文字を背負い一気に暗くなってしまった。
「ふーん。誰の写真かなー」
「昔の女とか…?」
「いや、実は光流先輩はナルシストで、CMに出たときの自分の写真を入れてるとか」
 瞬と一也は次々と例をあげては、わざと光流に聞こえるように問答し合った。
 ドキドキドキ…。
「わ、悪いけど俺、先帰るわ…。買いたい本もあるし…」
 分が悪くなり光流は立ち上がった。
「あー、光流先輩逃げる気ィー!?」
 瞬が不服そうに叫んだ。
「もうじき雨が来るぞ」
 忍が資料に目をやりながら、光流の背中に投げかけた。
「傘ぐらい持ってるよ」
 ドアを開けながら、片手で軽く挨拶すると、光流は出て行ってしまった。別の窓から校門が見える。そこへ光流が現れたとたん、十数人の女の子が光流の回りに群がった。衣替え(特に夏にかけて)の季節は、女の子の数が一気に増えて困る。女の子達は光流にタッチしようと、腕を引っ張り、シャツを引っ張り、髪の毛までも引っ張っている。そして目的を達すると、波が引くように一気に走り去って行ってしまった。いつもの事ながら、今日はどっと疲れを感じてしまう光流であった。
 しばらくすると、忍の言った通り雨が降り出した。バケツの水をひっくり返した、としか言いようのない雨だった。とにかく光流は本屋へと走った。

 雨は一向に止む気配を見せなかった。

 再び胸のポケットに手を当て、深く大きなため息を一つついた。
「変態」
 雨音にまぎれて聞き捨てならない言葉が耳に飛び込んで来た。うつむいていた顔をあげると、そこには黒いこうもり傘を持った忍が立っていた。
「こんなことだろうと思ったもんでね」
 軽く笑いながら傘を光流に差し出した。
「サンキュ。しかし、何だ?変態って。もしかして俺の事か?」
『こいつわ~ 』と内心思いながら、傘を広げた。
「こ・れ」
 光流に背を向け、肩越しに小さな手帳をちらつかせた。
「げっ」
 それは光流の生徒手帳であった。
「女子生徒の一人が、お前のポケットから手帳を抜き取るのが見えたもんでね」
 光流はそれを受け取ると、ポケットにしまった。そして、「降参」とばかりに忍に問いかけた。
「で、何で俺が変態なんだ?」
 二人は並んで歩きはじめた。
「……生徒手帳に男の写真を入れてる奴のどこが正常なんだ?」
 ほんの少し間をおいて、忍は光流の方を見ずに答えた。
「お、男ってなぁ、弟の写真入れててどこが変態なんだよ!」
 一瞬マジになり、弁解しようとしてハッとなった。
「ほう、弟の写真か…」
 忍はニヤッと笑った。
「こ、このヤロー、カマかけやがったなーっ!」
 光流は、忍の舌が二枚あることを忘れていた。
「こいつわ~、憶測で物言いやがってぇ~」
 光流の生徒手帳の中には、六歳頃の光流と正十が一緒に写っている写真が一枚入っていた。
「蓮川達には内緒にしておいてやろう。ただし…」
「わぁーってるよ、明日の昼飯だろ?」
「そおゆうこと」
 忍はニコニコと笑った。光流はドロドロと暗くなった。
『まっ、昼飯代で済むんなら安いもんだけどね』
 光流はそう思うことにした。
「しかし、何でそんな写真を持ち歩いてるんだ?」
 鋭い質問に、光流は答えを渋った。
「言葉で言ったり、行動で表したりしないと人間、不安になるんだよなぁ」
 光流の無言の返事に忍は答えた。
「…わかってるよ」
 光流の呟きは、忍に届いたのかさえわからないまま、雨の中に消えていってしまった。
 心なしか、空が明るくなってきたように思えた。もう数分もすれば雨も上がるだろう。

 果たして翌日、案の定、瞬が生徒手帳の件をほじくり出してきた。
「なーんだ、やっぱりやらしい写真かー。つまんないのー」
 忍の説明を受け、瞬と一也はしらけた。
「こいつら、俺の性格をどうゆうふうに把握してんだ…」
 光流は右手の拳を左手で押さえながらフルフルと震えた。説明する方もする方なら、納得する方もする方である。

 かくして池田光流に平穏は訪れた。しかし、持ち合わせのない時の忍に、「生徒手帳」の一言で躍らされる光流の姿が、手に取るように見えるようでもあった。

END