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春、日和

春、日和

「私は聞いてない!」
 その時近くにいた何人かの花仙たちが一斉に振り返った。それは神扇山の八番目の森の皇子と、花恭苑の花の皇女とが言い争う姿だった。言い争う、といっても一方的にまくし立てているのは花の皇女公の方ではあったのだが・・・。

「つ、蕾、ちょっと落ち着いてよ。ホントに今の今まで知らなかったの?」
 東雲はもの凄い剣幕の蕾にたじたじだった。
「そうだ!薫が上条宗司さまと、お前の后取りの話をしているのを聞いて知ったんだ!なぜ私にかくしていた!?」
 蕾は怒りながらも少し涙目になっていた。
「別にかくしていたわけではないよ。東皇使が100人の后を持てることは誰もが知っていることだし・・・はっ!」
 誰もが知っていることをつい先ほど知った、と知った蕾はうつむき、ふるふると拳を振るわせた。
「東雲のばかーーーっ!」
 凄まじい右ストレートが飛び、東雲は宙を舞った。怒りの表情が皇女を通り越し、皇女花将に変わっていた。
「ひ、ひどいよ~蕾ぃ~」
 左の頬を押さえながら、東雲も涙目だった。

「皇女さま、いかがなされました」
 蕾の背後から現れたのは、武将姿も凛々しい、白軍主将・素白将軍であった。
「老伯!」
 振り向いた蕾の表情は一瞬にして皇女のものに変わっていた。
 蕾は花将たちの前では常に御大花将であり、全ての花将たちが一目置く程の力量を備え、なおかつ芳しくも妖艶な姿に凛々しさと激しさを持ち合わせていた。しかし、一端職務を離れ東雲を前にすると、その表情も仕草も一変して皇女のものになる。近頃それが少々気にくわないと感じ始めていた老伯将に、あろうことか、東雲以外、めったに見せることのない皇女の表情を見せたのだった。
 蕾の瞳の端に涙がにじんでいるのをすかさず見て取った老伯将は、反射的に東雲を睨みつけ、二人の間に割って入った。
「あ、いや、これは・・・」
 慌てて状況を説明しようと口を開いたが、老伯将の気迫に押され、それ以上言葉を発することは出来なかった。しかし、どう見ても蕾に殴られている東雲の方が形勢不利なことは一目瞭然なのだが、老伯将にはそんなことは関係なかった。
「花仙たちが騒いでいるので様子を見に来てみれば・・・東皇使さま!これは一体どうゆうことでございまするか!?東皇使さまともあろうお方が花の皇女さまをお泣かせするとは!とても神扇山の皇子さまのなされることとは思えませぬな!」
 なにやら嫌味もたっぷり含まれているような気がするのは気のせいだろうか?と東雲は少し体を震わせた。
「だいだい東皇使さまは皇女さまを・・・」
 さらにまくし立てようとした時、居たたまれなくなったのか、蕾は踵を返すと自分の宮の方へと駆けだした。
「皇女さま!?」
 それを見た東雲は、老伯将の注意が逸れたのをいいことに、慌てて立ち上がると蕾とは反対の方向へと駆けだした。
「あ、東皇使さま!」
 脱兎の如く逃げ出した東雲は、あっという間に老伯将の視界から消え失せた。
「ちっ、逃げられたか・・・」
 これを機に、何本も釘を刺してやろうと考えていた老伯将だったが、すっかり思惑ははずれてしまい、ただ一人、その場にぽつねんと佇んだ。


「皇女さまが、蕾さまが伏せってしまわれた!」
「なに!?オレの上将がご気鬱だとぉ!?」
「あの気丈な皇女さまが!?」
 その日の夕暮れ時から花恭苑は上を下への大騒ぎとなっていた。花恭苑の皇女にして御大花将を務める蕾が床に伏せっているというのだ。
「あぁ、蕾さまは一体どうなされてしまわれたのでしょう」
 オロオロと廊下を行ったり来たりする薫は、今までにない事態に戸惑っていた。逆に噂好きの花仙たちは、
「あの御大花将さまがご気鬱だなんて、やっぱり皇女さまなのねぇ~」
 と不謹慎にも少々楽しそうに話している。
「して、皇女さまのご容体は?」
 老伯将が、あえて「上将」と言わないのは、何か心当たりでもあるのだろうか。
「はい、私が診るかぎりでは、少々熱が高い以外、どこにも異常は見あたらないのです」
 薫は半分泣きそうになっていた。
「ふぅ~む」
 老伯は腕を組むと、眉間にしわを寄せ、大きなため息をひとつついた。


「上条宗司さま、蕾さまのご容体は・・・」
 数日後、自分の手に負えないとみた薫は、すぐさま師である上条宗司五百重に蕾を託すことにした。
「ふむ、確かに熱がある以外、どこにも異常はなさそうだが・・・何か薬をお飲ませしたのか?」
「いえ、食事も喉を通らないとおっしゃるので、薬湯を差し上げたのですが、それも拒否されて・・・仕方なく薬香を焚いております」
 五百重は薫の調合した薬香で眠る蕾を見下ろし、蕾の額から、うっすらと上気する桜色の頬へと手を添えた。
「んっ・・・しの・・・?」
 眠っていてもわかるのか、森の気配に蕾がなにやら呟いた。それは薫には聞こえなかったが、森の香りが伝わる距離にいた五百重にははっきりと聞き取れた。
 五百重は小さく微笑むと、薫に向き直った。そして神妙な面もちで告げるのだった。
「薫、これは私の手に負えるものではなさそうだ」
 とても残念そうに告げる五百重に、薫は一瞬青くなった。
「ええっ!そ、そんな・・・蕾さまはそんなにお悪いのですか!?」
 薫は五百重にすがるように顔を見つめた。
「そうだな。しかし心配するな、薫。皇女さまはすぐに元気になられるだろう。今夜、東皇使をよこそう」
「東皇使さまを?五百重さまにも治せないものが、東皇使さまに治せるのですか?」
 言ってから、失礼なことを言ってしまった、と薫は口を両手で覆った。
「ははは・・。薫、そんなに心配せずともよい。中には東皇使にしか治せぬものもあるのだよ。特に今の皇女さまの病はな」
「???」
 おかしそうに言う五百重に、薫は首を傾げるだけだった。


「どちらへ参られます」
 そんな必要は全くないのだが、そっと玄関を通り、いつもどおり通い慣れた部屋へと足早に歩く東雲に、柱の影から声をかけた者がいた。
 あまり聞きたくない、なぜか少々ドスの利いた聞き覚えのある声にギクッと体を震わせ、振り向くと、やはりそこには睨みを利かせた老伯将がいた。
「ろ、老伯将・・・」
 あはは、と小さく愛想笑いをする東雲に老伯将は尋ねた。
「こんなお時間にどちらへ参られまするか」
 どちらもこちらも、ここは蕾の宮の中、行く先は言わずとも知れるのだが・・・あえてこんなことを言うのは相手が東雲だからだろうか。
「上条宗司さまのお言いつけで、蕾の容態を診に参ります」
 東雲の笑顔が少々引きつった。
「ほう、こんなお時間にですか」
 辺りはすっかり暗くなり、花々も眠りにつこうかという時間に診察とは・・・しかも皇女さまのお部屋に。と付け加えなくても老伯将の言いたいことは東雲には十分わかっていた。
「で、では、急ぎますので」
 口では絶対に負ける!と思った東雲は、とにかく早くこの武将の前から去りたかった。でないと、蕾に会うどころか、つまみ出されかねないとさえ思った。
「東皇使さま」
 再び呼び止められ、恐る恐る老伯将の顔を窺った。
「上条宗司さまが皇女さまの病は東皇使さまにしか治せぬとおっしゃられたそうですが、誠にそうであれば、心してかかられませ。万一皇女さまの御身に何事かあれば、たとえ錦花仙帝さまがお許しになっても、この老伯が許しませぬぞ!」
 な、何事かって、私が蕾に何をするって言うんだろう・・・。しかも錦花仙帝さまがお許しになって老伯将が許さない?何を?
 老伯将の言葉の含みをどうとってよいのか、東雲は目をパチクリさせながら悩んだ。
 東雲は軽く会釈すると、老伯将の前を横切った。東雲の動きに合わせて痛いほどの視線がつきまとった。それは廊下の角を曲がるまで、背中に突き刺さり続けた。

 蕾の寝室の扉をそっと開け、中に滑り込むと、ほっと小さなため息をついた。
 部屋の中には少し甘い、薬香の香りが漂っていた。
「蕾・・・?」
 東雲は蕾の寝台の横に腰をかがめると、そっと呼んでみた。よく眠っているようだった。額に手を当ててみると確かに微熱があった。
『何事にも立ち向かえる強靱な精神の持ち主である御大花将の君が、こんなに辛そうにしているなんて、きっと私のせいなんだね』
 東雲は愛おしそうに蕾の寝顔を見つめていた。ふいに、蕾の額にあった東雲の手にほんのり桜色に染まった指先が触れた。
「・・しのの・・め?」
 少し熱にうなされつつ、蕾は薄目をあけた。よく知った森の香りが蕾の意識をいとも簡単にゆり起こしたのだ。
「・・・なぜ・・お前がここにいる?」
 蕾は額に置かれた手を一瞬軽く握りしめたが、あの日のことが忘れられず、虫でも追うように振り払った。
「君がこんなにも思い詰めていたなんて・・・ごめんよ蕾」
 東雲が蕾の目線で、優しくこちらを見つめている。
「なんのことだ」
 蕾は上気する自分を見られるのがなんだか嫌で、顔をそらした。
「よく聞いて、蕾。・・・確かに東皇使は100人の后を娶ることができる。だけど私はずっと東皇使でいるつもりはないのだよ」
 東雲は囁くように蕾に語りかけた。
「?どうゆうことだ」
 そらしていた顔を少し東雲の方へ向けた。
「私は将来、緑修天司の位を頂戴するつもりなんだ。そうしたら必ずしも后を娶る必要もなくなる。もちろん、東皇使である間も娶るつもりはないよ」
 蕾がようやく自分に注意を向けてくれたことを確認すると、東雲は寝台にそっと腰掛けた。
「だけど、上条宗司さまと薫がお前の后取りのことを話していた!」
「それは、私もそうゆう年になったという話なだけで、特に今すぐ誰かを娶らせようとか、そういうものではないんだよ。それに万一勧められても私はそんな気は全くないから断るつもりだし・・・」
「え?后に興味はないのか?誰も娶るつもりもないのか?東皇使である間も・・・?一人もか?」
 やけに驚いた表情を見せた蕾に、東雲は少し慌てた。
「あ、いや、一人も・・・ではなく、う~ん、できれば一人はほしいかなぁ・・・」
 思い当たる皇女でもいるのか、東雲は真剣に考え込んだ。
「だ、誰だ!」
 そんな東雲の表情を見せられ、蕾は寝台から跳ね起きると、東雲の胸ぐらを掴んでゆすった。上気した頬がさらに赤く染まり、瞳は不安に震えていた。
「それはどこのだ・・・!?」
 フッと森の香りが鼻先をかすめた。と思った時、東雲は優しく蕾に口づけていた。
 突然のことに衣服を掴んでいた手の力が抜け、蕾はその場にへたり込んだ。
「あの時ちゃんと君に話していれば良かったよ。そしたら君をこんなにも悩ませることはなかったのに。ホントはあれから何度も話そうとしたんだよ。だけど君が会ってくれなかったから・・・。それ程辛い思いをしていたなんて、させていたなんて、ごめんよ、蕾」
 穏やかで優しい眼差しを向けられ、蕾の体は微かに震えていた。
「たったひとつだけの、かけがえのない私だけの花・・・。それはどこの誰でもない、蕾・・・君なんだよ」
 東雲は誤解を解こうと必死だった。その思いが少しでも伝わったのか、蕾は皇女の眼差しで東雲を真っ直ぐに見つめていた。
「ほんと・・・に?ほんとに私だけなのか?」
 噛みしめるように問う蕾の声も震えていた。
 東雲は小さく頷くと、そんな蕾の頬を両手でそっと包み込み、再び唇を重ねた。今度は先ほどより長く、そして深く・・・。

「また熱が出そうだ・・・」
 安堵した蕾はうつむくと、少し恥ずかしそうに呟いた。
「私がいるから、大丈夫だよ」
 東雲は小さく微笑んだ。
「東雲・・・」

 素我の光が窓からやわらかく差し込み、二人の影をぼんやりと映していた。
 蕾は東雲の首にそっと両手を絡ませた。
 そして二つの影はゆっくりと一つに重なっていった。


「東皇使さまには朝帰りでございまするか」
 一瞬、心臓が口から飛び出すかと思った。
 翌日の朝、衣服を整えつつ、何気に玄関へと向かった東雲だったが、意外な声に思わず金縛りにあった。声のする方に恐る恐る視線を向けると、果たしてそこには鬼の形相の老伯将が仁王立ちでこちらを睨んでいるではないか。目元、口元を引きつらせ、手には練習用とはいえ、棒術に使う長~い棒を手にしている。
「ま、まさか昨夜からずっとここに・・・!?」
 東雲は思わず腰を抜かしそうになった。
「昨晩申し上げたこと、よもやお忘れとは申しますまいな!?」
 老伯将の凄まじい形相に、声にならない悲鳴を発する東雲は、全身から音を立てて血の気が引いていくのをこの日、初めて体験したのだった。


 ここは花恭苑、麗しき花たちが集う常春の郷。蕾の体もすっかり回復し、それとは知らず朝日の中、爛漫の笑みをたたえていた。


おわり