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White Love

White Love

 久々に下界に降り立った蕾は少し戸惑っていた。
 時は如月、立春も過ぎたとはいえ、まだまだ肌寒い街並みから、楽しそうな女性たちの、温かく密やかなささやきが聞こえてくる。顔をほころばせ、頬を染め、ショーウィンドーを覗き、思い思いの品を買い求める姿は、恋をする者が見せる輝いた表情に他ならなかった。
 浮き足立った街並みは、愛を告白する者たちのための準備に明け暮れているようだった。
 聖・バレンタインデー。それが他国の行事であろうと、御菓子業界の戦略であろうと、彼女らには関係はなかった。この機に乗じて行動を起こそうと、待っていましたとばかりに下界の女性達は躍起になっているようにも見えた。
 そんな喧噪をぼんやりと見ながら、2~3人の女子高生が覗いている小さなケーキ屋のショーウィンドーを蕾も覗いてみた。箱に詰められた様々な形の小さなチョコレートや、リボンをかけられ可愛くデコレーションされたチョコレートケーキがいくつも飾られていた。
 きゃいきゃいと隣の女子高生が楽しそうに話しているのを聞きながら、蕾は首を傾げた。
そしてしばらく辺りの様子をみながら街を歩いていくうちに、この日は思いを寄せる相手にチョコレートを贈り、愛を告白する日だと大まかに知った。
「ふん、チョコレートで愛を告白するなど、下界には妙な習慣があるものだな。ま、私には関係ないが・・・」
 すでに何度もお互いの想いを確かめ合った自分たちには、関係のないことだと思いつつ、ふと、あの時のことが思い出され、一抹の不安にかられた。自分は本当に許されているのだろうかと。だとすれば、なぜ今自分はここに一人でいるのかと。
 蕾は立ち止まると、空を仰いだ。
「なぜ・・・来ない?」
 晴れ渡った寒空にそんな事を思ってしまった自分を振り切ろうと、蕾はブンブンと顔を何度も左右に振った。

 無意識のうちに蕾は高いビルの屋上の更に上、高架水槽の頂上に佇んでいた。どこから見てもわかるように、風に吹かれていた。しかし東雲は現れなかった。
 蕾が下界に降りたと言えば、何をおいても追いかけてきた東雲。喧嘩をすれば、たとえ蕾に非があっても東雲が折れてくれた。限りなく優しく、いつも自分を大切に想っていてくれた幼馴染みが特別な存在に変わったのはそれ程昔の話ではなかった。だけど、時折素直になれず、相手の気持ちに甘え、喧嘩をすることもしばしばあった。そんな時はいつも東雲が自分を訪ね、そっと抱きしめてくれた。それは我が儘だったかもしれないし、自惚れていただけだったのかもしれない。今回も些細なことで口論となり、思わず下界に降りてしまった。思わず・・・と言いつつ、実は東雲が追ってくることを予測してのことではあったのだが。
 蕾が下界のどこにいようと、東雲は必ず蕾を探し出した。今回もそんな展開になると高をくくっていた。が、やはり東雲が現れることはなかった。
「東雲・・・」
 一向に現れない東雲に、苛立ちよりも言いしれぬ不安を感じ始めた蕾の胸は、吹く風に強く締め付けられた。そして自分がこんなにも東雲を待っていることに気付き、喧嘩をしたことを今までにないくらい後悔した。大きな不安の種を抱えたまま、天界を飛び出すなど、しなければよかったと。もしこのまま東雲が現れなければ、恐らく、自ら戻ることは不可能だとさえ思った。過ぎ去ったはずの不安の種がどんどん膨らんでいくように感じ、蕾はどうして良いのかわからなくなりはじめていた。

「君、淋しそうだね。ひとり?」
 再び街の喧噪の中を歩き始めた蕾に、サラリーマン風の男が声をかけてきた。
「・・・・・」
 怪訝そうに自分を見る蕾に、男は更に優しく声をかける。
「よかったら僕とデートしようよ。楽しいこと、してあげるから」
 薄い笑みを浮かべ、返事のない蕾の腕を掴むと男は歩き出した。
「どこへ行くのだ?」
「いいところだよ」
 蕾は抵抗せず、男に連れられ歩いた。そして路地をいくつか入った人通りの少ない通りにいくつか在る建物の一つに二人の姿は消えた。
 5分と経たない内に、憤慨した蕾が建物の中から飛び出してきた。顔を真っ赤にし、怒りも露わに拳を握りしめている。
「ったく、なーにを考えとるんだ、あの男は!」
 何も考えずについていった蕾も蕾である。実は自分の身になにかあると、慌てた東雲が現れるのではないかと仄かな期待を抱いての行動だったのだが、部屋に入るなり身体に触れてきた男に、思い出したくないことを思い出さされたようで、反射的に叩きのめし、出てきた次第であった。
「東雲・・・」
 蕾は路地の間から見える狭い空を見つめた。

 夜に向け更に賑わう街並みを、手持ちぶさたに眺めながら歩いた。そして気がつくと先ほどのケーキ屋の前にたどり着いていた。再びショーウィンドーを覗くと、隅の方に飾ってあったチョコレートに視線が止まった。
「東雲」
 蕾は小さく呟いた。

 日もすっかり暮れ街灯が灯りだしたころ、空には低く重い雲が広がりはじめていた。
 繁華街から少し離れた公園のブランコに、ひとり揺られながら、これからどうしたものかと蕾は途方に暮れていた。
 下界のチョコレートに想いを伝える効力があるのなら、託してみたいと思った。
 今更、という気もした。いくらお互いの想いを確かめ合ったとはいえ、あの件からまだそんなに月日は経っていなかった。それだけに、今、東雲が隣にいないことが何より辛かった。
 不安を拭いきれないまま、ただ時間だけが空しく過ぎていった。

 大気も冷たくなり、空から白いものが花びらのように舞い落ちはじめた。
 白い溜息を何度も吐きながら、思うのは東雲のことばかりだった。自分はこんなにも東雲のことが好きだということを改めて思い知った。そして隣にいるはずの者がいない悲しさを痛いほど知った。
「逢いたい・・・東雲」
 溢れる想いに耐えられず、強く瞑った瞳の端に涙がにじんだ。その時・・・。

「蕾」
 心を温かく包んでくれる声音に、蕾はうつむいていた顔を上げた。
「しのの・・・め?」
 振り向くと、そこには笑顔をたたえた想い人が立っていた。
「ごめんよ、蕾。きみが下界に降りたと聞いてすぐに追いかけようとしたんだけど、教授たちに捕まってしまって、すっかり遅くなってしまっ・・・」
 全て言い終わらない内に、蕾が東雲の胸に飛び込んできた。それに少し驚いた東雲は、微笑むとそっと蕾を抱きしめた。
「どうやらきみを不安にさせてしまったみたいだね。ごめんよ」
 震える肩を抱きしめ、胸に顔を埋める蕾の髪を優しく撫でながら、東雲は言った。
「お前が謝らなくてもいいんだ!悪いのはいつも私なんだから・・・!」
 少し強い口調で反論する蕾に、東雲は驚いた。
「蕾?」
「お前がいないことでこんなにも心が不安になるなんて、思っても見なかった。いや、あの時、死にそうなくらいわかったはずだったのに・・・。やっぱり私は・・・私ひとりではだめなんだ。お前がいないと、いつもお前がそばにいないと。・・・だけどお前は、私がいなくともきっと大丈夫なのだろうな・・・」
 蕾は小さくうつむいた。
「蕾・・・まだあの事を気にしてるんだね。・・・それとも私を試しているのかい?」
 ふぃ、と蕾は顔を上げた。瞳がかすかに潤んでいた。試すなんてとんでもなかった。蕾はただただ東雲の心を知りたいだけだった。この不安を受け止めてほしいだけだった。
「私もきみといっしょだよ。きみがいないと私は私でなくなる。だからどんなことがあってもいつもきみのそばにいたい。・・・だから、もう忘れるんだ。いいね、蕾」
 自分自身にも忘れるよう言い聞かせ、東雲はコートを広げると、包み込むように蕾を抱きしめそっと口づけた。蕾の大きな瞳から、涙がひとすじこぼれた。
「?何か持ってるの?」
 身体に当たる小さな物体に気付いた東雲が蕾に問いかけた。
 蕾は、持っていた可愛くリボンのかけられた、自分の手のひらよりも少し大きめの箱を東雲に示した。
「今日は下界では、女性が好きな相手にチョコレートを贈って愛を告白する日らしい。私たちには必要はないとは思ったのだが、その・・・喧嘩をしてしまったから・・・詫びの印というか、なんというか・・・」
 涙をごしごしと拭きながら、少し顔を赤らめ、しどろもどろに答える蕾の仕草が可愛らしく、その気持ちがいじらしく東雲は思わずクスクスと笑ってしまった。
「何がかおしい!」
 そんな東雲に頬を膨らませて怒鳴った。
「あ、いや。そうゆうつもりじゃ」
 そう言いながらも、まだ口の端が少し笑っていた。
「だったら笑うな!」
 蕾は箱を持った手を思わず振り上げた。それを軽く東雲が捕まえ、箱を受け取る。
「確かに、私たちには必要のないものだね」
 そう言われて、蕾は少しドキッとした。
「だってきみの気持ちは私が、私の気持ちはきみが、誰よりも一番知っているんだから。だけどうれしいよ。ありがとう」
 限りなく優しい面差しを向けられ、蕾は頬を染めてうつむいた。
 東雲はその場でラッピングをときはじめた。箱の中にはリーフ型のチョコレートが入っていた。
「私の気持ちは昔も今も変わらない。もちろんこれからも」
 東雲は蕾の顔を上げさせると、まっすぐにその大きな瞳を見つめた。
「私もだ・・・」
 蕾はつま先立ちすると、東雲に口づけた。東雲が蕾の腰に手を回し、身体を強く抱き寄せると、二人はさらに深く熱く口づけた。

 降り出した雪はキラキラと二人の周りを舞いつつ、いつしか地面をうっすらと白く染め初めていた。

「ところで蕾。このチョコ、一体どうやって買ったの?きみ、確か下界のお金なんか持ってなかったはずだろう?」
 ベンチに座し、チョコを口に収めながら東雲は首を傾げた。
「うっ、そ、それは・・・」
 東雲に際どいところを指摘され、蕾は視線を泳がせた。
「ん?」
 そんな蕾の顔を東雲が覗き込む。
「そんな細かいことは気にするな!それとも私からのチョコが気にくわないとでも言うのか!?」
 顔を赤くしながら、蕾は怒鳴った。
「いや、そうゆうわけでは・・・」
 手にしていた残りのチョコを巻き上げられそうになり、東雲は慌ててチョコを庇った。
 お金の出所を知られれば、また小言を言われること、間違いなしだと思った蕾は、おもむろに東雲の顔をじっと見つめると、東雲の口から顔を出していたチョコごと口づけた。半分チョコを持っていかれ、
「なんだかうまくごまかされたような気がしないでもないんだが・・・」
 と眉間にしわを寄せる東雲をよそに、蕾は東雲の隣に座ると肩に頬を寄せた。
 なにかしっくりこない東雲だったが、蕾の温もりをすぐそばに感じながら、ほんのひとときの、ささやかな幸せを与えてくれた下界の行事に、心から感謝せずにはいられなかった。

 雪は二人に触れることなく、ゆっくりと下界を銀世界に変えていった・・・。


 ちなみに、東雲に贈ったチョコは、蕾をホテルに連れ込んだ男から巻き上げた金で買ったものであることは、言うまでもない。

おわり