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夢の中でも・・・

夢の中でも・・・

 七月も半ばにさしかかり、下界の町のあちこちでは夏祭りの賑わいが夜の星空を薄れさせていた。今夜も近くの神社から、たくさんの提灯の灯りと賑やかな人々の声が聞こえ、屋台からは甘く香ばしい、食欲をそそる良い匂いが漂ってきていた。

「どうしたの?どこか痛いの?」
 そんな賑わいが近くに聞き取れる距離にあった児童公園の一角、両脇に一本ずつ、枝先に無数の美しい頭状花序を付けた大きな合歓木を侍らせたように佇むブランコに、揺られるでもなくポツンと寂しげに座っていた蕾に、朝顔模様の浴衣を着た少女が心配そうに声を掛けてきた。
「!?」
 驚いて顔を上げると、さらに少女は言った。
「なんだかとても辛そうな顔をしてたから、どこか体が痛いのかと思って・・・」
 他人事であるにもかかわらず、少女は蕾のことを心から心配しているようで、覗き込むように様子を窺った。
 痛み・・・。その言葉に何気なく胸元を掴んだ。体にはなんの異常もなかったが、確かに心は痛かった。
 蕾はふっと溜息のように小さな笑みをこぼすと、
「ありがとう。なんでもないんだ」
 と答えた。
「じゃあ、どうして泣きそうな顔をしているの?」
 精一杯向けた笑顔に対しそう言われ、一瞬ドキッとした。自分はそれほど酷い顔をしていたのだろうか。それともこの子には相手の心の表情までが見えるのだろうか、と不思議に思った。
「私は、泣きそうな顔をしていたか?」
 困ったように蕾は言った。
「うん。・・・私ね、最近までずっと入院してたの・・・。周りのみんなはとても優しかったけど、小さいときからずっと病院で過ごしていたから友達もいなくて、淋しくて辛くて・・・だからよくわかるの」
 なるほど。この少女は下界では珍しい、清らかで穢れのない心を持った、人の心の痛みのわかる感受性の高い少女のようだった。そう思えば、先ほどから少女から感じる微かな花気も納得がいく。
「入院?もう良くなったのか?」
「うん、お兄ちゃんのおかげで手術も受けて、今日は初めて夏祭りに連れて来てもらったの」
「兄がいるのか?」
「ううん、本当のお兄ちゃんじゃないの。病院で知り合ったお兄ちゃんなの。でも、私にとってはとっても大切な人なの」
 ほんの少し頬を染めて嬉しそうに語る少女に、恋心を感じ、蕾は昔の自分の姿をだぶらせた。まだ本当の気持ちに気付いていなかったころ、事あるごとに東雲に殴る蹴るの暴行を加えていた。多分あのころにはもう、東雲のことを好きになっていたに違いなかった。あのころ、この少女のように、こんな風に素直に想えていれば、また二人の関係も変わっていたに違いなかった。

「好き・・・なのか?」
 嬉しそうに、しかし少し恥ずかしそうに話す少女に、蕾の表情も少しほころんだ。
「・・・うん。大好き」
 少女ははにかみながら、更に嬉しそうに答えた。その素直さが蕾にはうらやましかった。
「でも、片思いなの。私はまだ小さいし、お兄ちゃんにはきっと彼女とかいると思うし」
「気持ちは伝えたのか?」
 少女は小さく首を左右に振った。
 ああ、この少女も想いの反面で深く悩んでいたのだ。想いをうまく伝えられないもどかしさ、伝わるかという不安。今の蕾には痛いほどそれがわかった。なのに人を気遣い、その清らかな心で相手を癒そうとする・・・。そんな少女を蕾はいじらしく思った。
「お姉さんは好きな人はいるの?」
 少女は隣のブランコに腰掛けた。
「いる。・・・けど、喧嘩をした」
 蕾は小さくブランコを揺らした。
「だから泣きそうな顔をしてたの?」
「わからない・・・」
 蕾の表情がさらに辛そうなものに変わったのを見て、少女は言った。
「お姉さん、ホントにその人が好きなんだね」
 驚いて蕾が少女に顔を向けると、優しく微笑んでいた。その笑みを見ていると、初めて会った下界の少女だというのに、しかも同じような悩みを抱える自分より小さく弱々しい人間の少女に、何もかもうち明けたくなった。
「わからないんだ、どうしていいのか。好きになればなるほど、愛しいと思えば思うほど、この気持ちをどう伝えればいいのか、わからなくなって、そんな自分が歯がゆくて、ついついあいつにあたってしまうんだ。本当は喧嘩なんかしたくないのに。いつもあいつのそばにいたい。いたいだけなのに・・・」
 俯いた蕾の頭上に影が落ちた。少女が優しく蕾を抱きしめたのだった。
「・・・あいつはいつも優しかった。たとえ私が悪いとわかっていてもいつもあいつが折れてくれた。それがわかっていたから喧嘩もできた。いつの間にか私はあいつの優しさに甘えすぎていたのかもしれない」

『お前なんか大嫌いだ!お前の顔なんか二度と見たくない!!』
 そんな言葉を投げつけ、天界を飛び出してきた。強ばった東雲の顔が脳裏に焼き付いて離れなかった。本当ならすぐにでも謝りたかった。でもあんな酷い言葉を投げつけておいて、今更どの面さげて謝りに行けばいいというのか。東雲は優しいから、素直に謝ればきっと許してくれるだろう。けど、そんな優しさに甘えてばかりの自分に無性に腹が立った。東雲の優しさを前提に喧嘩をしているわけではなかった。いや、だからこそ、喧嘩ができたのかもしれなかった。だけど・・・。
「さっきも大喧嘩をして、あいつのもとを飛び出してきた。・・・ホントは違うのに・・・嫌いなんかじゃ・・・」
 蕾は悔しそうに強く瞼を瞑った。
「辛かったんだね・・・。ほんの少しの素直さと勇気があれば、きっと気持ちは伝えられると思うの。私にはまだまだ打ち明ける勇気はないけど・・・お姉さんならきっと大丈夫だと思うよ。その人もホントはすごくお姉さんのことが大好きなんだよ。お姉さんの気持ちをよくわかってくれてるから、大切に思っているから優しいんだよ。うらやましいなぁ、そんなふうに喧嘩ができるなんて」
「うらやましい?喧嘩が?」
 ふい、と蕾は顔を上げた。
「そうだよ。お互い信頼しあえてるからこそ、何度も喧嘩ができるのだし、仲直りもできるんだもの。ホントに好きじゃなかったら、きっと一度の喧嘩で終わってると思うよ」
 いつもほんの些細なことで大喧嘩に発展していた。それは大抵蕾の一方的なものだった。しかしそんな蕾の心情を知ってか、東雲はいつも優しく蕾を許し、時には己が謝り、身も心もあたたかく包み込んでくれていた。それがとても心地よく、愛し、愛されているのだと実感できる瞬間でもあった。
 心の奥底で繋がっているものが、二人の関係をいつの時も確かなものにしていた。それは「出会い」の頃より無意識のうちに形成され、今、少女の言葉で初めてその存在が明らかになった。

 東雲に謝りたい・・・会ってちゃんと話しがしたい。蕾は強く思った。
「あいつは許してくれるだろうか?」
 いつものように、笑顔で向かえてくれるだろうか?一抹の不安が蕾の心を振るわせた。
「お姉さんを好きな人だもの」
 少女の笑みに、蕾の顔にもほんの少しの笑顔がもどった。
「合歓木さんも心配してるみたい」
 二人の後ろで、そよそよと風にゆれている合歓木を見て、少女が言った。
「?もしかして花精の姿が見えるのか?」
 不思議そうに、蕾は尋ねた。
「うん。お姉さんもお花の精さんのお友達でしょ?とっても優しいお花の気配がするもの」
 少女はにっこりと首を傾げた。
 この少女は下界には珍しく、本来人間には見えないものが見え、感じられないものを感じることができるのか。それで私の心を感じ取ることができたのだろうか。蕾はこの少女に出会えたことを少なからず嬉しく思った。

「蕾・・・」
 その時、心躍る優しい響きが蕾の耳に届き、反射的に俯き加減の顔を上げた。たった一言、名を呼ばれただけで鼓動が高鳴るのを感じた。これまでに何度おとずれたであろうこの瞬間に、蕾の心はたちまち嬉しさと愛しさでいっぱいになった。
「東雲・・・!」
 東雲の姿を見つけた瞬間、謝ろうと思った。そして無意識のうちに立ち上がっていた。
「しの・・・」
 しかし蕾が一歩踏み出すより早く、東雲が口を開いていた。
「蕾、私たちはもうだめだ」
「え?」
 一瞬蕾の表情が強ばった。東雲はわずかに目を伏せ、残念そうに呟いた。
「こんなことの繰り返しばかりじゃ、正直私も疲れるよ。・・・もう、終わりにしよう」
 東雲が何を言っているのか、蕾には全く理解できなかった。
「もう、君の面倒は見きれない・・・さよならだ、蕾・・・」
 東雲は背中を向けた。その後ろ姿がなんとももの悲しく、冷たく見えた。
 蕾の頭の中は混乱していた。一体何がどうなったのか、さっぱりわけがわからなかった。 別れ話し?東雲が、この私に・・・!?さっきの喧嘩が原因?

 いつもいつも些細なことで喧嘩をしてきた。愛しいと思えば思うほど、喧嘩も増え、そのたび後悔ばかりしてきた。だけどいつも東雲は優しかった。いつも私を許してくれた。そんな東雲に甘えてきた、これが私へのしっぺ返しなのか?
 謝ろうと思っていたのに・・・。私はこんなにも東雲に辛い思いをさせていたのか?ないがしろにしていたのか?・・・どうしてもっと早く気付かなかったのだ?あの優しさにかまけていて東雲の気持ちに少しも気付かずにいたなんて。私はなんて取り返しの付かないことをしたのか!もう遅いのか?ああ、今になってこんなにも愛しい想いがこみ上げてくるなんて!

 東雲への果てしない想いがこみ上げ、蕾の心は破裂寸前にまでふくれあがっていた。
「し・の・・・」
 震える声で、それでも東雲の名を呼ばずにはおられなかった。しかし、
「・・・な~んてね、ウッソさっ!」
 東雲は振り向き様、パッと明るく笑って見せたのだった。
「・・・!?」
 一瞬呆気にとられた蕾が絶句した。
「驚いたかい?君にはいつもいつも困らされてばかりだからね、今日はそのお返しだよ。たまには逆に君を驚かせることくらいしたってバチは当たらないだろう?どう?少しは驚い・・た・・・?」
 とべらべらとしゃべり初めた東雲が、ほんの少し様子のおかしい蕾に気付き、語尾が小さくなった。よく見ると蕾は俯きながら、肩を、いや全身を震わせながら両の拳を握りしめていた。
 ポツリ・・・と俯いた顔から地面へと滴が落ちた。
「つ、蕾?」
 返事はなかった。が、返事の替わりに、近づいた東雲に凄まじいほどの右ストレートが襲った。
「うわぁっ!!」
 東雲はいつも以上に激しく吹き飛ばされ、後方のジャングルジムに背中から叩きつけられた。蕾の傍らにいた少女はさぞや驚いたことだろう。
 拳を振るった体制のまま、肩を大きく震わせ、大きな瞳に涙をためながら東雲を睨みつける蕾がいた。
「つ、蕾・・・?」
 体に激痛が走ったが、蕾の様子が尋常でないことを悟った東雲は、一瞬顔色を変えた。ほんの冗談のつもりだったのだ。いつもいじめられる立場の自分としては、今回の喧嘩を利用して、蕾をほんの少し驚かせてやろうと、蕾を自分の方に向かせようと、ちょっとした悪戯心からきたものだった。まさか蕾がここまで本気にし、しかもこれ程までに取り乱すとは思ってもみなかったのだ。
 蕾は一瞬おとずれた「不安」に心をわしづかみにされた心地だった。自分の行いに腹を立てていただけに、気持ちを弄ばれたと思い、涙ながらに叫んでいた。
「お前なんか、お前なんか、大嫌いだ!私の本当の気持ちも知らないで!!」
 いや、本当はみな自分が悪いのだ。喧嘩をしては東雲の心を乱していたのはいつも自分の方だったから。それは自分自身が良くわかっていることだった。東雲は何も悪くない。これはすべて自分が招いたことなのだ。東雲を殴るなど、お門違いなことくらいわかっていた。だけど、心の奥底で一番恐れていた事態に遭遇したとき、心がこんなにも不安定になることを知り、耐えられず、東雲を殴っていた。
 やはり自分が自分でいるためには東雲は欠かせない存在だった。

「お前・なん・か・・うっ・・・」
 蕾は自分を強く抱きしめるようにすると、その場に膝を折った。
「うっ・・うぅ・・・」 
 泣いているのは明らかだった。悲しさと悔しさで大きく肩を揺らし、両手で顔を覆い、嗚咽していた。
「蕾・・・」
 そんな蕾に、東雲はどうしていいのかわからなくなり、一端伸ばした手を空に泳がせた。

 その時だった。蕾の後方にあった合歓木の閉じていた小葉が突然開いたかと思うと、蕾の体は一気に力が抜けたようにその場にくずおれたのだった。
「蕾!?」
 東雲は慌てて蕾に駆け寄ると、抱き起こした。
「蕾?蕾!?」
 突然の事態に驚き、頬を軽く叩いてみた。
「うっ・・・う・っ・・い・やだ・・しの・・・のめ・・い・・ゃ・・・」
 小さくしゃくり上げながら、蕾は泣いていた。
「蕾!?」
 呼びかけても反応のない蕾に東雲は焦った。

「東皇使さま・・・」
 その時、傍らでやわらかな声がした。
「君は・・・」
 顔を上げると、それは合歓木の花精だった。
「皇女花将さまは、今は眠っておられるのです」
 合歓木の花精はやさしく微笑んだ。
「君の・・・せいなの?」
「はい。私は、私のそばにいる者を眠らせ、夢を見させることができます。今までのこと、すべて見ておりました。皇女花将さまは東皇使さまに謝ろうとお考えになっておいででした。皇女花将さまの東皇使さまに対する想いは、とても切なくて愛らしくて、私たちにとてもよく伝わってまいりましたわ」
 そう言うと、花精は少女と目を合わせ、軽く微笑んだ。
「そんな皇女花将さまのお心は他の誰でもない、東皇使さまが一番ご存知のはず。それをあんな風におっしゃっては皇女花将さまがあまりにもお可愛そうです」
 花精に怒られ、東皇使も形無しであった。
「東皇使さまのお言葉は今宵の“夢”として認識なさるでしょう。明日の朝、目覚めたときには悲しみもお忘れになられていることと思います」
 花精は蕾に近づくと、そっと涙を拭った。
「皇女花将さまは今、東皇使さまの夢を見ていらっしゃいます。どうか皇女花将さまにはもっともっと優しくしてさしあげてくださいませ。たとえそれが夢の中であっても・・・」
 東雲の腕の中で、まだ微かにしゃくりながら、どんな夢を見ているのだろうか、蕾の表情は徐々に安らかなものへと変わっていった。
「ごめんよ、蕾。私が悪かった。君がこんなにも取り乱すなんて、思ってもみなかったんだ・・・」
 蕾の想いの強さ、激しさに触れ、東雲は強く後悔した。しかしそんな一途な気持ちが嬉しくてならなかった。そしてきつく瞑った瞳の端に滲む涙に口付けし、そのまま強く抱きしめた。

「あ、お兄ちゃん!」
「待たせたな、夕姫。ほい、りんごあめとわたがし」
「ありがとう」
「ん?誰だ?・・・あ、お前この前街であった。おっ、この子も確か・・・」
 夕姫のそばにいた、蕾を抱きかかえる東雲を見て透は驚いたように声を上げた。
「なんだなんだ、何かあったのか?」
 ぐったりとしている蕾を抱える東雲に不信感を抱き、夕姫に問いかけた。
「ううん、何でもないの」
 そう言うと、夕姫は東雲のそばに行き小声で話しかけた。
「あのね、森のお兄さん、お姉さんはお兄さんのこと、とっても好きなの。好きすぎてどうしていいのかわからなくなるの。だからお姉さんに優しくしてあげて。お姉さんを大事にしてあげて。お願いだからもうあんな風に泣かせたりしないでね」
 こんな小さな女の子にまで窘められ、東雲は深く反省した。そして去っていく未来の恋人同士の背中に感謝の微笑みを返した。

 振り返るといつの間にか花精の姿も消えていた。再び眠りについたようだった。
 東雲は眠る蕾の顔を愛おしそうに見つめると、そっと小さな唇に口づけた。

 祭りの喧噪は静かな星空に吸い込まれていった。

「ばかだな、お前。ホントにばかだ」
 翌日、果たして蕾は晴れ晴れしい表情で東雲の元を訪れていた。
「そうばかだばかだと連呼しないでおくれ」
 寝台に横たわる東雲が、面白そうに付きそう蕾に抗議した。
「だって夜中に寝ぼけて渡り廊下から転げ落ちた挙げ句、庭石に背中と左の頬を強打したなんて、お前にしてはマヌケすぎないか?」
 ケラケラと笑う蕾に、人の気も知らないで、と言いたくなったが、昨夜の蕾のことを思うと、ばかにされたままの方がよっぽどましだと思い、蕾の言うがままにしていた。
 案の定、合歓木の花精の言うとおり、蕾は昨夜のことはもちろん、合歓木の花精が「夢」として置き換えた別れ話どころか、喧嘩をしたことすら、覚えてはいない様子だった。
 あっけらかんと笑う蕾を見ながら、たとえ夢でも、もう二度とあんな辛い思いをさせたくはない、させてはいけない、願わくば、愛しい君と寄り添う私の夢だけを君に見せてあげたい。心からそう思った。

「昨夜、夢を見た・・・」
 突然の言葉に一瞬どきっとし、思わず蕾の顔を見上げた。しかし蕾は太陽のような笑顔を浮かべていた。
「お前が出てきたんだ・・・」

 そして蕾は昨夜見た夢の話しを始めた。
 それはとてもとても優しく、あたたかなふたりだけの物語だった。

おわり