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きみの中の残像

きみの中の残像

 自室で明日の放課後に行われる模擬試験の対策を練っていた東雲が、ふと席を立った。
 もうすぐ19時になろうかという頃、普段ならまだ明るい空が急激に暗くなったと思ったとたん、バケツをひっくり返したような雨が降り出した。
 十日ほど前に梅雨入りしたらしかったが、連日の晴天続きで雨らしい雨はほとんど降らず、今年は空梅雨になるのではと思われた矢先であった。
 恵みの雨、とはまさにこのことを言うのだろう。久々の雨に顔を上げ喜びを示す大輪の紫陽花の花々と、乾いた庭の土がたちまち潤っていく様をほっとしたように見つめると東雲はカーテンを閉め、再び机に向かい始めた。

 教科書と参考書を照らし合わせ、シャープペンを手にし文字を走らそうとした時だった。
 コツンコツン。
 雨音に混ざり窓を叩くような音がしたように思った。
 一瞬何かの音と聞き違えたかと思い、一度上げた顔を再びノートに戻した。
 コンコン。
 しかし今度は確かに誰かが窓を叩いている音だとわかった。
「まさか、ね・・・」
 このどしゃ降りの中、彼が来るとは思えなかった。しかしベランダから訪ねてくる客が彼の他に誰がいるというのだろうか。どしゃ降りだからこそ、ということもある。
 東雲は慌てて席を立った。

「蕾!?」
 案の定、それは頭からつま先まで濡れ鼠になった蕾であった。
「どうしたんだね、一体」
 尋常でない状態の蕾に、何があったのかと少々顔を強ばらせ、東雲は手を伸ばした。しかし蕾はその手をするりとかわし、びちゃびちゃと雨水を滴らせながら、勝手知ったる部屋の中へと入っていった。
 髪から滴り落ちる水滴は、蕾の白い頬から首筋を弾けるようにつたい、まるで紫陽花の花弁の上に踊る雨だれのようだと東雲は思った。
 部屋の中央までくると、蕾はぼうっと立ってこちらを見ている東雲を不服そうにチラと見た。それに気づいた東雲は慌てて衣装ケースからバスタオルを取り出すと、蕾を頭から包み込んだ。わしゃわしゃと髪を拭いてやり、優しく押さえるように洋服からタオルに水分を移してゆく。

「何かあったのかい?」
 膝をつき少し見上げるように視線を注ぎながら、大人しく黙って自分に扱われている蕾に心配と不安が増し、優しく声を掛けた。
「別に。帰る途中突然雨に降られて、雨宿りをするところがなくてたまたまここへ寄っただけだ」
 素っ気ない、しかしどことなく恥ずかしそうな蕾の話し方から事件性はなく、本当に雨に降られて困り、仕方なくここへ立ち寄ったのだとわかった。しかし自分の部屋が立ち寄り所か何かのように扱われたことに、東雲は苦笑せずにはいられなかった。

「そう、だったらいいんだ」
 それでも東雲は嬉しかった。どんな理由であれ、蕾が少しでも自分のことを心に留めていて、頼りに思っていてくれていることが。
「風邪を引いたら大変だ。服、着替えた方がいいね」
 こんな蕾を目の当たりにすると、ついつい過保護にならずにはいられなかった。濡れた服をハンガーに掛け、新しいタオルと自分の綿のシャツを与えた。

「ふぅ」
 程なく着替えてスッとしたのか、蕾はベッドにドスンと両手をついて腰掛けた。
「待ってて、今コーヒーでも入れてくるから」
 そう言うと、蕾の冷えた身体を暖めるためのコーヒーを煎れに、東雲は階下へと降りていった。

「蕾、きみはミルクと砂糖が入ったお子ちゃまコーヒーでよかったんだよね?」
 盆に香ばしい薫りと温かい湯気を漂わせたマグカップを二つのせ、部屋に入りがてら声を掛けたのだが、返事はなかった。一瞬この雨の中、黙って帰ってしまったのかとドキリとしたが、ベッドの上で四肢を伸ばし小さな寝息を立てて眠る蕾の姿を見つけ、肩が小さく下がった。

「おやおや、なんと無防備な」
 東雲は盆を机の上に置くと、両手を腰にあて蕾を見下ろした。
「さて、どうしたものか」
 ため息を小さくつきながらも悪戯っぽい笑みを口の端に浮かべ、東雲は思案した。
 とりあえず蕾の横に腰を下ろしてみたが、蕾は全く目を覚ます気配はなかった。この状況を喜んで良いのか、悲しんで良いのか、とても複雑な心境だった。
 額にかかる、まだほんの少し湿り気のある髪をそっとかき上げてやった。しかし蕾は微動だにせず眠ったままだ。警戒せずにここまで眠れると言うことは、それだけ自分は彼から信頼を得ている、ということなのだろうか。それともこの私が彼に対して何もしない、するはずがない、できるわけがないと高をくくっているからなのだろうか。どちらにせよ、こんな無防備な彼の寝顔を見ることができるのは、ごく限られた少数の者たちだけであっただろう。
「眠っている時だけはまさに天使のようだね」
 普段の彼からは想像できないほどの静かで、愛らしい寝顔を見ている内に、東雲はふと幼い頃のことを思い出した。

 初祓いの儀の折り、蕾を皇女と間違え殴られた。その後、詫びを含めた文を送りつつ、なんとか友達になることに成功した。初めて出来た同い年の友達、華郷苑の皇子、蕾は天真爛漫で、永輪樹帝の末の皇子を東雲呼ばわりし、何にも遠慮気兼ねすることなくよく東雲の元に遊びに訪れた。それは東雲にとってとても嬉しいことだったのだが、蕾が東雲の元を訪ねてくれるたび、何かしら騒動が起こった。理不尽にもそれらはすべて東雲の責任となり、悩みの種でもあった。その後、考えあぐねた結果、被害を防ぐためにも東雲が蕾の元を訪ねるというのが日常になった。

 とある日、東雲はまだ行ったことのない東の果ての森の奥へと無理矢理蕾に連れて行かれた。
「つ、蕾、もう帰ろうよ」
 しばらく空を飛び、眼下に現れた森に入ってから随分時が経ったように思えた。徐々に森は深くなり、空を覆う木々が森の中をより一層薄暗くさせ、鳥すらの声も聞こえない鬱蒼とした中を、蕾は何の迷いもなくスタスタと進んでいく。
「お前、樹仙なのに怖いのか?」
 東雲の声が不安がっているのがわかり、蕾はニヤリと面白そうに笑いながら東雲の方を振り返った。
「そ、そうゆうわけではないけど、万が一禁域にでも入ったりしたら大変じゃないか」
「心配するな、ここはそうゆう所ではない。・・・たぶんな」
「たぶんって、蕾ぃ!」
 そこがどこだろうと蕾には関係がなかった。ただ、そこに東雲を連れて行きたかった。それだけのために蕾はただひたすら歩いた。それとは知らず、何をも畏れない蕾に不安を感じながらも、いざという時は自分が何とかしなくては、しなければいけないと小さいながらも使命感のようなものを抱きつつ、東雲は置いて行かれないようついていくのに必死だった。
 そうこう言い合いをしている間に、出口が見え始めた。明るい小さな点が徐々に大きくなり、光をはき出したかのように目映い光景が目の前に広がった。
「こ、これは・・・!?」
 暗い森から眩しい平原に出た瞬間、あまりの輝きに東雲は一瞬視力を奪われたかと思った。
 ようやく慣れた瞳に映ったのは、一面に広がる金色の花園だった。
「す、すごい・・・」
 陽の光を細かく反射させながら風にそよそよと揺れる果てしなく続く金色の大地に、東雲は呆然とした。
「最近見つけたんだ」
 自慢げに言うと蕾は近くに咲いていた花を一輪手折り、東雲に渡した。
 霞草のように細かな花が無数に咲き、黄金色の輝きを放っていたそれはたった一輪だけでもその輝きに目を細めずにはいられなかった。
「蕾?」
「これを母上にさし上げるのだ。お前も、お前の母上にさし上げるといい」
 笑顔でそう言うと蕾は再び花の前にしゃがみ込んだ。

「どうした、東雲?」
 無邪気に花を摘む蕾の後ろで、戸惑った様子の東雲に気づき、蕾が振り返った。
「私は・・・私の母上は、きみの母上のようにしょっちゅうお逢いできるような方ではないから・・・」
 蕾に手渡された花をしみじみ見つめながら、東雲は少し困ったように呟いた。
 母帝の立場上、東雲は5番目の兄に育てられていた。兄にも回りの者たちにも大切に慈しまれてはいたものの、母への思慕の念は幼い東雲にとって決して消すことのできないものであった。恐らく生まれてから暫くの間は母の腕の中に居たのだと思う。不思議とその時のぬくもりと慈愛に満ちた母の顔を覚えているような気がした。しかし物心ついてからの東雲が母に会ったのはたった一度だけだった。しかも直にお顔を拝することも言葉を交わすこともかなわなかった。
 表情を曇らす東雲を見た蕾は何を思ったのか、自分が摘んだ花を東雲の鼻先に押しつけた。
「!?」
「お前もお前の母上にさしあげろ!」
「つ、蕾・・・!?」
「逢えないのなら、文を書けばいい。お前、文を書くのは得意なのだろう?だったら文にこの花を付ければいい。きっとお喜びになられるぞ」
 なぜそんな簡単なことがわからないのか、と言いたげな蕾だった。

「あ・・・。そう、そうだね・・・」
 蕾の言葉にほんの少し呆然としながらも、そのまっすぐで大きな瞳を見つめていると、自分は何を悲観しているのかと思いついた。
 華郷苑に来るといつも蕾と同じ様に接してくれる錦花仙帝の優しさに嬉しさを感じながらも、いつもいつでも母に逢える蕾が少し羨ましかったのかもしれなかった。もしかしたら嫉妬さえ感じていたのかもしれなかった。
 東雲は、再び花に向き合った蕾の後ろ姿をしばらくの間じっと見つめていた。蕾は純粋に、ただ純粋に相手を想い、花を贈ろうとしているのだ。そして自分にも大切な人に花を贈るようにとここに連れてきたのだ。その想いを理解でき、共有できるのだとわかったとたん、心の底から何かしら熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「蕾が・・・なら・・・」
 殴られたあの日がふと蘇り、東雲は小さく吹き出した。ふと、違う方に視線を向けると、銀色に輝く花の群れがあるのに気づいた。
「蕾、あそこに銀色の花が」
 嬉しくなった東雲は思わずそちらの方へ走り出した。
「あ、ばか、東雲!そっちは・・・!」
 突然のことに蕾の制止も間に合わず、東雲は花の手前でずぶりと地面にめり込んだ。
「そっちは湿地帯だぞ、と言おうとしたのに」
 初めてこの場所に来た時、蕾も同じように泥の中にめり込んだ。その時のことを思い出しながら、ぎりぎりの所で立ち止まり、泥に埋もれた東雲を蕾はにやにやと見下ろした。
「そうゆうことはもっと早く言ってよ~」
 やはり蕾と行動するとこうゆう目にあうのだ、と改めて自覚した東雲であった。

「あらあらまあまあ」
 東雲は自ら泥にはまり、それを助けようとした蕾もはまり、全身泥だらけになり、しかも乾いた泥が体中に張り付き着物もカチコチに固まった二人を見て薫は目を丸くした。蕾だけならいつものことだが、神扇山の皇子までが蕾と同じ状態にあることに、薫は驚かずにはいられなかった。
「薫、あとで母上の所に持っていく」
 薫に差し出したそれは、泥が付かぬよう気を配りながらここまで携えてきた金色と銀色の花だった。
「これは・・・」
 その花を知っていた薫は、二人が泥だらけになった理由を即座に理解することが出来た。
「さあさあ、湯の用意をいたしましょう。東雲さまもご一緒に」
 にこりと微笑むと薫は二人の背を押しながら、湯殿へと向かった。

 もともと軽装だった蕾は侍女たちの手を借りず、自分でさっさと着物を脱ぎ始めた。
「・・・・・」
 侍女達に着物を脱がせて貰っていた東雲の視線が蕾の体の一点に集中した。その顔がなぜか落胆の色に染まっていた。
「ん?どうした、東雲?」
 じっと自分の方を見ている東雲に気づき、蕾が不思議そうに声をかけた。
「え!?あ、いや。なんでもないよ」
 一瞬放心状態になった東雲は、慌てて自分を取り繕った。
『やっぱり、付いてる・・・』
 自分と同じものが蕾に付いていることを目の当たりにした東雲は、「もしかしたら・・・」、とか「実は・・・」などの淡い期待を抱いていた自分に終止符をうつはめになった。無駄な抵抗、悪足掻き、と諦めざるを得なかった。

 蕾は勢いよく湯に飛び込んだ。
「東雲、お前も早く来い」
 湯浴みが大好きなのか、蕾は湯の中ではしゃぎ放題だった。いつもは一人で入る湯も、今日は東雲と一緒なのが嬉しかったのか、さんざん侍女を手こずらせた上、始終はしゃぎっぱなしだった蕾は、湯から上がるなり寝台にぐったりとした。

「大丈夫かい、蕾?」
 顔を桜色に染めた蕾の額に冷えた手ぬぐいをのせてやった。
「お前、今日は泊まっていけ」
 少ししんどそうに蕾は突然呟いた。
「え、でも・・・」
「薫に使いを出させるように言っておいたから心配するな」
 蕾は大きくゆっくりと呼吸を繰り返すと、東雲の方を見た。
「明日、オレの母上に花を届けて、その後でお前は文を書くんだ」
「え?」
「オレがちゃんとみていないと、お前のことだ、ホントに書くかどうかわからんからな」
「そんなことは・・・」
 きみじゃあるまいし、と思いつつ、ふと思いついたことを訪ねた。
「ところで、私の部屋はどこ?」
「ここだ」
「へ?」
「ここで十分だろうが」
 ここは蕾の部屋だった。確かに子供用の寝台にしては皇子のものだけあって大きさは十分だった。
「急なことだったから部屋が用意できんかったのだ」
 蕾は額の手ぬぐいを自分でひっくり返し、まだ冷たい方を額にのせた。
 部屋の用意ができない。そんなはずはなかった。つねに来客用の部屋は整えられ、いつでも使用可能なはずだった。
 見え透いた嘘の裏に、蕾なりに自分を気遣ってくれていることがわかり、何だか無性に嬉しくなった。もし、ただ単に自分と一緒にいたいだけの理由であったとしても、それはそれでまた嬉しかった。東雲は母への文に蕾の事を書こうと思った。

「蕾さま、東雲さま、そろそろお食事を・・・」
 しばらくして二人を呼びに訪れた薫が、身を寄せ合い小さく丸まりながら眠る二人を見て、小さな笑みを浮かべた。そしてそっと二人に上掛けをかけると、静かに部屋を後にした。

「翌日、蕾に急かされるように文を書かされ、しかし私の書いた文字が彼には読めなくて・・・」
 ぷぷぷっ、と東雲は笑った。
「子供ながらに達筆だったものねぇ」

 いつもなら数通に一通しか来ぬ返事が、数日後東雲の元に届けられた。そこには東雲を想う母の心と、喜びが綴られていた。

「良い友達を持ちましたね・・・」
 蕾の寝顔を眺めながら、東雲は呟いた。文の結びにはそう書かれてあった。

 雨は未だに止む気配を見せず、蕾もすっかり寝付いてしまっている。その状況に東雲ははっとなった。
「・・・ところで、今夜私はどこで眠ればいいのだね」
 東雲のベッドを我がもののように占領している蕾を見ながら、東雲は眉をひそめた。
 そして幼い頃のように、試しに蕾の横にそろそろと体を寄せてみた。蕾が真ん中で眠っているため、東雲はかなり端の方に体を横にした。
「これはちょっとしんどいかも・・・」
 そう思いながらも、すぐ目の前にある蕾の横顔を愛おしそうにに見入っていた。
「ん・・・」
 その時、蕾が寝返りを打った。
「うわぁっ!」
 一瞬、触れんばかりにアップになった蕾の顔に息を呑んだ次の瞬間、腹のあたりを思いきり足で蹴飛ばされ、東雲はドスンと背中から絨毯の上へ落ちた。
「った~。ひどいよ蕾~」
 訴えてみたが、蕾は何事もなかったかのように眠り続けている。
「・・・ホントに良い友達で・・・トホホ」
 今更ながら蕾の寝相が悪いことを思い出し、今夜は絨毯の上で寝ることを余儀なくされた東雲ではあったが、今もここに、蕾が居てくれる奇跡に心から喜ばずにはいられなかった。


 金色の花の中で笑うきみの姿は、決して色あせることのない懐かしい残像・・・。

 雨は静かに優しく、全てのものを潤していく・・・。そして雨が上がったその後には、あの日のような清々しい景色が広がっているに違いなかった。

おわり