ka-rin-blog.cocolog-nifty.com > novel BUD BOY

ひだまり

ひだまり

「ぎゃぁーっ!!」
 それは何の前触れもなく、マンション中に響かんばかりに突然発せられた。
「な、なんなんですかー一体!?」
 蕾とファミコンの格闘ゲームを楽しんでいたところ、突拍子もない悲鳴に、手元が狂い、同じく、押されていたはずの蕾方のキャラが逆に透方のキャラをKOしてしまった。そんな不本意な結果を招いた声の主に抗議を入れようと、悲鳴の上がったキッチンへと透は顔を出した。
「そ、そそ、そこに・・・!!」
 そこにはたまたまキッチンでミネラルウォーターを飲んでいて、現場に出くわした、少し青ざめた面もちで身を固くする薫とその後ろ、要するに畏れ多くも薫を盾に目をつぶり、顔面蒼白になりながら、明後日の方角を小さく指さす香がいた。
「だからどうしたというのだ」
 透の後ろから蕾もひょいと顔を出した。
「ご、ご、ごき・・ごきちゃんがぁーっ!!」
 フルネームを言うには忍びなく、だからといってちゃん付けで呼ぶのも何か変なのではあるが・・・。
「えっ!どこっスか?」
 履いていたスリッパの片方を素早く手に持ち構えると、透は辺りをじっくり見渡した。
 カサカサカサ・・・
 大粒の黒いそれは、冷蔵庫の下から姿を現すと、薫の足下近くを横切ろうとした。
「ひっ・・・」
 薫が小さな悲鳴をあげた。そして透がスリッパを振りかざしたその時。
「ちわーっス。薫さまいるー?」
 そんな修羅場の瞬間に登場したのは、最近ようやくマンション内の出入りを許された、薫をこよなく崇拝するまだまだ下級だが心優しき怪魔、来尾であった。一瞬止まった絵柄の中に青ざめた薫をみつけ、さらにその足下に視線が動いた。
「お、うまそうじゃん」
 その一言に全員の表情が凍り付いたのは言うまでもない。
「いっただーきまーす!」
 元気に挨拶すると嬉しそうにそれを素早く捕まえ、ポイと口の中に放り込み、むしゃむしゃと口を動かした。
 額に玉の汗を浮かべ、大きく目を見開き、微動だにしない彼らに来尾はきょとんとした。
「いーーやぁーーーーーっ!!」
 次の瞬間、どげしっ!!と凄まじくも異様な音とともに来尾はベランダから大空の彼方に吹っ飛んだ。


「それは凄まじい光景だね」
 と昨日の出来事を蕾から聞いた東雲が笑顔を引きつらせて言った。
「ああ、おかげで来尾は当分マンションへの出入りは禁止。薫にも絶対近づけるなとオレに護衛を言いつける始末。ったく虫一匹ぐらいでぎゃーぎゃー騒ぎおって」
 と、公園のベンチにふんぞり返った蕾は、ポケットからタバコを取り出すと一服しようとした。しかしそれをさり気なく手元から奪った東雲に一瞬ムッとし、チラと一瞥するとため息をついた。
「まあ、あれは特別人間に嫌われているからね。しかし来尾もよくそれだけで済んだね。一つ間違えれば黒こげだよ」
 クックック・・・と東雲は笑った。
「笑い事ではないぞ!あいつの能力(ちから)は変化した、とは言っても100%コントロールの利くものではない。できる限り使わぬよう、天上の花の露で編んだブレスレットを戒めに付けさせてはいるのだがな」
 困ったものだ。と 蕾はベンチに片膝を抱き込んで座り直すと、再びため息をついた。
 不安定な力、不均衡な力が心身に及ぼす多大な影響を蕾は身をもって知っていたし、東雲はそれを防ぐ術がどれだけ大変なことか、またそれが己の大切な者ならばなおのこと、命を賭けてでも救いたいと思う気持ちと、相反して己の無力さを知る結果に陥った時の気持ちを痛いほどわかっていた。だから蕾が焔燬(えんき)を想う気持ちはよく理解できた。しかし、だからこそそれ以上に蕾のことが心配でならなかった。いつか蕾も焔燬のように封印を振り切ってその能力の均衡を保てる日が来るのだろうか。いつかそんな日が来るならば、その時そばにいるのは他の誰でもない、自分でありたい、と東雲は密かながらにも強く思った。
「ところで、薫どのの護衛とやらはどうなっているのかね」
 そんな想いを悟られることもなく、笑顔を浮かべると東雲は聞いた。昨日の今日にもかかわらず、蕾はいつもどおり一人で暇を持て余していたからだ。
「そんなことくらいで薫のお守りなどしとられんわ!あいつはあいつで今日も香玉の営業にまわっとる!」
 薫どののお守りねぇ。お守りされているのはいつも君の方では・・・と出かかった言葉を東雲はぐぐっと飲み込んだ。
「それにしてもお互い虫には気をつけねばね。花木にとって有益な虫も少なくはないが、中には命を奪いかねないものもいる。ましてやここは下界。天界とは違い様々な虫がいる。畏界に住む虫も時には地上に現れて花木に悪さをすることも少なからずある。人間にはわからないけどね。蕾、きみも十分気をつけておくれ。そしてもし少しでも体に異常を感じることがあれば、すぐに私のところに来てほしい。ま、天界一の暴れん坊である君の体に付く命知らずな虫なんているはずないとは思うけどね」
 本心とは裏腹に、鼻で笑いながら東雲は言った。
「どーゆう意味だ!」
 拳を作り、今にも殴りかからんばかりの蕾に、東雲は両手のひらを広げ、降参のポーズをとると一歩身をひいた。
「季節は初秋、これから涼しくなっていくから害虫の心配はないとは思うけど、きみはともかく薫どののことは注意するにこしたことはないと思うよ」
「お前に言われるまでもないわ!」
 再び東雲に飛びかかろうとした時、弾かれたように蕾は軽く空を仰いだ。
「蕾・・・」
「ああ」
 軽く応えると、踵を返した。そしてスッと空に舞い上がると、東雲を残しあっという間に小さな点になってしまった。
「・・・」
 助けを求める花の波長を感じ、反射的に飛び立った彼の後ろ姿を見送りながら、東雲は再び思いを馳せた。
 どんな時でも、何があっても、その身を犠牲にしてでも護ろうとするものが彼には多大にあった。自惚れ、と言われるかもしれないがおそらく自分もその中の一人・・・。だけど、どんなに計り知れない力を持つ彼でも、彼の足下にも及ばない程度の力しか持たぬ自分だけれども、大切な人を「護りたい」、という思いは誰にも、もちろん彼にも負けることはないだろうと。そして自分が彼に対して抱いている想いが、彼自身があらゆるものに抱く「想い」にも決して負けはしないと・・・。


「蕾さま!一体その傷はどうなさったのですか!?」
 数時間後、マンションに戻った蕾の姿を見て誰よりも青ざめたのはやはり薫であった。
 血こそ止まっていたが、蕾の左の下膊には10センチほどになるだろうか、みみず腫れのような傷が縦にパックリと口を開けていたからだ。
「一体どちらでこのようなお怪我を・・・!?」
 オロオロとする薫を鬱陶しそうに、蕾はドカッと座り込んだ。
「また無茶をして・・・」
 と、隣の部屋から現れたのは果たして東雲であった。
「な、何でお前がここにいる!?」
 数時間前に外で別れたはずの東雲の姿を見咎め、蕾ががなった。
 少し呆れ顔で、しかしいつものように東雲は蕾の隣に腰を下ろすと、傷のある腕をそっと手に取った。
「大したことはない!」
 東雲の手を振り払い、背を向けるが、東雲は最初の位置関係を保ち続けた。
「・・・畏界の土の匂いがするけど、まさかまた畏界へ行ったのかい?」
 傷口をじっと観察していた東雲はわずかだがそこから漂う異質な気を感じ取り、ほんの少し顔色を変えた。
「ちがう!」
 と、蕾は思わず強く否定した。
「じゃあどうして・・・!きみはあの時花の助けに応じて飛び去った。その後どこで何があったって言うんだね」
 語尾がかすかに震えていた。「畏界」が関わるととたんに焦りを見せ、必死になる東雲の姿にやはり誤魔化しはきかないか、と思ったのか、蕾は渋々口を開いた。
「・・・祓濯しようとして逃げられた。それを追っているうちに畏界に踏み込んでしまっただけだ」
 蕾は頬をふくらませ、口を尖らせて言った。
「ではこの傷は畏界で受けた傷なんだね」
「ああ、そうだ」
 どこでどのようにして受けた傷なのか、治療するためには必要不可欠な事実であった。
「透、あれを持ってきてくれないかい」
 二人のやりとりを後ろで心配げにそっと見守っていた透に東雲が目配せした。
「あ、ああさっきのアレね」
 言うと、程なくキッチンからひとつのビンを持って透は現れた。
「これは霊玄天神さまに献上された御神酒のお下がりをいただいたものに、下界のものだが枇杷の葉を漬け込んだものだ。普通下界では薬用のアルコールに消炎作用のある枇杷や桃の葉を漬けたりして、その液を化粧水なんかに用いたりするんだけどね。これは天界の御神酒につけてあるので本来の枇杷の葉が持つ治癒の力を存分に引き出すことができて、その葉自体、我々のちょっとした傷の治療にも効果的なんだ」
 東雲は葉を数枚取り出すと、傷口にあて、包帯を巻き付けた。
「ホントにきみは悪い子だ。みんなにこんなに心配をかけて。何か胸騒ぎがしたので以前から作っていたコレを持って来てみれば案の定、ホントにきみって子は・・・」
バチンッ!
 と、言い終わらない内に真正面から蕾の張り手が見事に決まった。その勢いでひっくり返った東雲は、後頭部をテーブルの角でしこたま打ち付けた。
「つ、つぼみぃ~」
 東雲は涙目になりながら頭を抱えた。
「いらん世話だ!こんな傷、明日になったら治っとるわ!」
 すっかり治療が済んでからそんなこと・・・無体な。と心の中で思いながらも、大人しく治療を受けてくれたこを感謝しつつ、しかしガクリと首をうなだれた。
 蕾はおもむろに立ち上がると、玄関の方に向かった。
「つ、蕾さま?どちらへ?」
オロオロと両手を空中に踊らせながら、薫は涙目で尋ねた。
「ムシャクシャするので出かけてくる!」
「お、お待ち下さい!そのお怪我で夜の街を徘徊するのは~・・・」
 ああ~と、薫の嘆きはすでに玄関のドアの向こうの蕾には届きはしなかった。


 翌日、やはり東雲は蕾の傷の様子を診に、訪れていた。
「虫だね」
 傷の悪化した様子、またそれによって現れ始めた斑点のようなどす黒い湿疹、翳りのある肌の色・・・。様々な見立てから東雲はそう診断した。
「虫とは厄介な・・・昨日あれ程注意するように言ったのに。他の者ならいざ知らず、御大花将ともあろう君が、この体たらくかい?」
 ため息混じりに、東雲は蕾の軽率な行動に少し怒っているようだった。
「だから、こんな傷すぐに治ると言っておろーが!」
 確かに、虫一匹祓濯しそこね、畏界にまで足を踏み込んだあげく、傷を負わされしかもその傷口から寄生され、逃げられて・・・という、いつにないこの失態に蕾自信も腹立たしい思いで一杯だった。それだけに実は東雲に言われた一言は、少し応えていた。
「あのね蕾、君は鍛えられた武将、仮にも御大花将だ。少々虫につかれても君の内の力と体力ならどうってことはないだろう。だけどここには本来君が護るべき方がいる」
 蕾はふと視線を薫の方へ向けた。心配そうな視線とぶつかった。
「虫が体の中にいるってことがどうゆうことかわかるかい?本来は天界に戻って治療に専念したいところだけど、虫なだけにそれもできない。薫どののためにも、ここでしっかりと治療してほしいのだよ」
 蕾は何も言わなかった。
「そういう訳なので、薫どのには不本意でしょうがしばらく天界にお戻り願いたいのです」
「ですがそれでは蕾さまが・・・」
「蕾は少々の事では参りませんよ。それより薫どののお体の方が心配です。蕾には大したことがなくても、薫どのだとひとたまりもありませんからね」
 ひとたまりもない、その言葉に、そんな恐ろしいものが蕾の体の中に巣くっていることを知り、青ざめ、倒れそうになる薫の体を透がそっと支えた。
「よけいなことを言うな!」
 蕾は東雲に対し強く叱咤した。薫によけいな心配をさせたくないのは蕾も同じであった。
「こんな時に、本当に困ったよ」
 東雲は、今度は呆れたようにため息をつき、腕を組むと少し考え込んだ。
「何か不都合なことでも・・・?」
 二人のそばで半泣き状態の薫が、心配そうに尋ねた。
「実はさ、オレたち明日から三泊四日の修学旅行なんですよ」
 と透も少し困ったように言った。
「オレなら一人で大丈夫だ!うるさいのがいなくてせいせいするわ!」
 蕾はプイとそっぽを向いた。
「とにかく、私はこれから薬の手配をするために一度天界に戻ります。薫どのもご同行願いますよ。いいかい蕾、薬は毎日届けさせるから、朝昼晩の一日三回、必ず飲むのだよ?」
 東雲は小さな子供に言い聞かせるかのように、蕾の顔を覗き込んで言った。
「うるさい!お前などとっととどこにでも行ってしまえ!」
 東雲の態度に少し照れながらもやはりつれない態度の蕾に、がっかりする東雲であった。


「蕾ィ、お前ホントーに一人で大丈夫か?」
 荷物の確認をしながら、傍らでゲームに興じている蕾に透は不安げに尋ねた。
「ああ、心配いらん。こんなもの麻疹のようなものだ。お前が帰ってくる頃には治っとるわ。お前は心おきなく修学旅行とやらを楽しんでこい」
 透はしばらく蕾の後ろ姿をまじまじとながめ、
「ちゃんと薬飲めよなー!」
 と蕾を後ろから羽交い締めにした。
「うわ・・・やめろ」
 二人はバランスを崩し、団子になりながらじゃれあった。
「・・・みやげ、買ってくるからどこにも行くな・・・」
 後ろから首に手を回し引き寄せると、耳元で小さく囁いた透の横顔がほんの少し寂しそうに微笑んだ。
「おお、期待しているぞ」
 蕾はそれに素直に応えた。
 蕾の体に何らかの異変があるたび、蕾は天界へ戻ることを余儀なくされた。それは透にとって、もう二度と蕾が自分の元に戻ってこない、こられないかもしれない、という不安であり恐怖でもあった。今回は逆に天界での治療に臨めず、下界での投薬治療ということになったのだが、生憎家を留守にすることになり、そばについていてやることができなかった。その間もし蕾の体に更なる異変が起こり、このまま二度と会えなくなった時のことを思うと、修学旅行などどうでも良いという気にさえなった。実際、蕾のために修学旅行を断念しようとし、東雲に心配はいらないから、学校行事にはきちんと参加するよう諫められた。元気そうにゲームをし、今も自分とじゃれあう姿は、きっと自分を安心させるためのものだろう、と思われた。こいつはそうゆうヤツだということも透自身よくわかっていたし、東雲が「大丈夫」と言い切るからには大丈夫なのだと割り切ることにした。しかし心配なのにはかわりはなかった。
 その日は早めの就寝となった。


 翌日の早朝、一日目の薬を自ら携えてやって来た東雲は、蕾の罵声を送り言葉に、透とともに修学旅行へと向かった。


 果たして、異変はその日の夜におとずれた。
 薬のせいか、それとも虫のせいなのか、やたらと体が熱を帯びていた。それに意味もなく無性にイライラしてくる。
 体内で何かが蠢いている、そんな気がした。
 それでも無理に眠ろうとするが、その内息苦しくなり、体の奥の方で鈍い痛みが何度も走った。不本意ながら東雲の言うとおり薬は服用していた。が、もしかして薬が効いていないのではないか?・・・。蕾は痛みのする鳩尾あたりをそっとさすってみた。
 ザワザワザワ・・・。
 ゾッとするような音が体中を伝わった。その時だった。
 覚えのある気配を感じ、蕾は慌ててベランダに飛び出した。街は静かに眠っていた。薄雲がかかった月だけがぼんやりと影を落としているだけであった。が、再び気配を感じ、蕾は屋上へと舞い上がった。
「!!」
 そこには黒い針のような鋭い棘の体毛に覆われ、人間の大人くらいのひょろ長い体の上に下界でいう蠅のような頭を持ち、毒々しい息を吐く虫、即ちあの日蕾が傷を負わされた上、まんまと逃げられた怪虫がそこにいた。
「極上の獲物の中にワシの可愛い子供たちがいるというのに、このままではみな死んでしまう。おぬしにはもう少しおとなしくしていてもらわねばなぁ」
 怪虫は濁った目を細くし、耳まで裂けた口を歪ませ、いやらしい笑みを浮かべた。
「貴様・・・!」
 今度は逃がすまい、と蕾は身構えた。その時だった。傷のある腕の中でボコボコと何かが激しく蠢いた。
「うぁっ!」
 大きく痙攣する腕を反対の手で強く押さえ込んだ。それは体内をぐちゃぐちゃにかき混ぜんばかりに駆けめぐり、体中に激痛を呼んだ。
「くっ・・・」
 思わずその場に二つ折れになり倒れた蕾の横に、影が落ちた。
「忌々しい匂いだ。そんな薬草の効果もこのワシの体液で無効にしてやるぞ」
 どうやら怪虫は東雲の薬湯の匂いを嗅ぎ分け、それが体内の幼虫に害を成している事を知り、再び蕾の前に現れ、幼虫を成虫に孵そうとしているようだった。
 体内で蠢くものが、腕の傷口付近に集まりつつあるのを感じた。怪虫の口から細く長い管のようなものが伸び、巻かれた包帯を裂いた。傷口はボコボコに腫れ上がり、波のように蠢き、うねっていた。
「苦しいのだな、ワシの可愛い子供たちよ。今すぐ解毒してやるぞ。そして極上の花気を喰らい、内臓を食い破り、外に出てくるがいい」
 今しも穢毒が傷口にしたたり落ちようとした時だった。
「森玄霊玉、祓濯!」
 シンと静まりかえった静寂に、朝日の輝きのような木霊が響いたかと思うと、むせ返る森林の大気が辺りを包み込んだ。
「うぐっ・・・こ、これは!?」
 怪虫は思わず大きく後方に飛びす退った。
 月影からフワリと蕾の傍らに舞い降りたのは、守護の杖を手にした東雲であった。
「蕾!大丈夫かい!?」
「東雲、お前・・・?」
「来てみて良かったよ。まさかこんなことになっているなんて・・・う、これは・・・」
 蕾の腕の傷を診て、東雲は絶句した。しかし慌てず、手にした杖をそっと傷口にあてがった。
 ボコボコボコ・・・と傷口の下で蠢く幼虫はまるで反発する磁石のように苦しそうに蠢いた。
「ワシの子供を・・・!」
 それを見た怪虫は、すかさず東雲に躍りかかった。
 パシッ!
 東雲はそれを結界の力で払いのけた。
「ぐぅぅ、許せん、貴様も餌にしてくれる!!」
 森林の気に弾かれた怪虫は牙をむき、目をつり上げた。東雲は蕾を背中で庇うと杖を構え直した。するとそれを蕾が軽く制した。
「あいつの相手はお前では無理だ」
「でも蕾、その傷じゃぁ・・・」
「お前のお陰で少し楽になった。ここでまたあ奴を取り逃がすことになれば御大花将の名折れだ。お前は退いていろ」
 蕾はそう言うとスッと立ち上がった。素娥の光が、美々しくも凛とした花の気を陽炎の如く映し出した。
「来い」
 と唇の端が笑っていた。
「こしゃくなーっ!」
 怪虫の背に羽が現れ、恐ろしい勢いで蕾に迫ってきた。蕾はフワリと空中に舞い上がると、
「花炎・・・」
 と小さく呟いた。
 ビュンッ!と襲ってくる怪虫の黒い棘のある腕を優雅にかわし、蕾はもう一度、しかし今度は力強く呟いた。
「・・・祓濯!!」
「うぎゃぁーーーーーっ!」
 蕾の掌から放たれた花の炎に、たちまち怪虫の体は包まれ、空中でもがき苦しみながら瞬く間に消えていった。
 すうっと降り立った蕾に、東雲は思わず駆け寄った。
「蕾、ほんとに君は無茶ばかり・・・」
 と横から両肩を抱きしめようとする東雲を蕾は軽く押し退けた。
「蕾?」
 傷口から黒い粒のようなものが砂のように大量に湧いてきたのだ。
「!?」
 東雲は目を見張った。もしここに薫がいたなら卒倒まちがいなしだろう、とも思った。 苦しそうにのたうち回るそれは、怪虫の幼虫だった。薬湯の効果で弱り果て、そのうえ親虫も祓濯され、東雲の杖の影響もあり、蕾の体の中に留まることもできず、傷口から湧き出してきたのだった。蕾は人差し指を足下の幼虫の塊に向けると「祓濯」と小さく呟いた。幼虫たちは薄紙が燃え尽きるが如く、炎に焼かれ死滅した。
 しばらく炎の消えるまで、沈黙が続いた。
「・・・無事でよかった・・・」
 その沈黙を破ったのは、大胆にも正面から蕾を抱きしめた東雲であった。一瞬だけ何も言わず抵抗しなかった蕾は、数秒後、思い出したかのようにようやく東雲を突き放した。
「お前、何でこんなところにいる!修学旅行はどうなったのだ!?」
 少し目線をはずしてまくし立てた。
「きみのことが心配で修学旅行どろこじゃないよ。薬はちゃんと飲んでいるか、無茶はしていないか、今日一日心配のし通しだったのだよ」
 完全に子供扱いである。
「お前なー、透には大丈夫だからとか何とか言っておいて・・・」
「だって現にこれだもの。私が来なければきみはどうなっていた・・くゎっ!」
 言い終わらないうちにバキッ、という鈍い音が夜空に響いた。
「るさい!お前が来なくともなんとかなったわ!」
 肩を怒らせ、蕾は東雲に背を向けた。しっとりとした夜が、いつもの大喧嘩に発展し、台無しである。
「虫はほとんど体内から出たようだけど、まだ安心はできないよ」
 頬をさすりながら東雲はゆっくりと起きあがった。
「ここに来る前に小蓬莱に寄って清水を貰ってきたから、それで傷口を洗って薬を飲んで・・・お願いだからもう無茶はしないでおくれ・・・」
 東雲は蕾の背中に切なげな声で訴えた。
「・・・・・・」
 それに応えるかのように、ふと蕾が小さく何かを呟いた。
「え、何?何か言った?」
 ほんの少し瞳を輝かせ、意地悪そうな笑みを口元に浮かべると、慌てて東雲は蕾に駆け寄り、後方から肩越しに自分の顔を寄せた。
 森の吐息が頬をかすめた。しかし聞き返されたことにかーっとなった蕾は、
「二度も言わせるなー!」
 と、先ほどのものよりも更に強い右フックをお見舞いした。
「つーぼーみぃ~」
 吹っ飛ばされ、情けない声で訴えながら、東雲は体をふにゃりとさせた。

 ほんの一瞬がいつも永遠に感じられた。抱きしめられるたび、心が癒されるのがわかった。この安心感はどこからくるものなのだろうか。彼が樹仙であるが故なのか否か、それはわからなかった。ただ、そんな心地よい感覚にいつまでも身を任せていたい、いっそこのままこの腕の中で眠りにつけたならどんなにか・・・そんな衝動に駆られる自分に対して頬を紅潮させ、またそんな表情(かお)を見せるわけにもいかず、蕾はいつも強くその腕を振り払ってきた。
 背を向けたままフワリと部屋へ戻ろうとする蕾の後ろ姿をそれとは知らず、東雲は涙目で追っていた。
「すまなかった」・・・小さな呟きは、果たして柔らかい夜風に運ばれ、確かに東雲の耳に届いていたに違いなかった。


「通天閣の置物にペナント、舞子さんのイラスト入りTシャツに八つ橋・・・きわめつけは大仏様のはなくそ(注・御菓子)か!?」
 無事日程を終了し、修学旅行から戻った透の土産を広げながら、蕾は少し呆れ顔だった。おまけに舞妓さん姿の東雲と透の写真まである。
「いやー、なかなか楽しかったぜ、三都巡り。夜はホントは夜更かししたり女子部屋に遊びに行ったりとかしたかったんだけどさ、なんか皆早々と寝ちゃってさー、もうぐっすりよ!」
 と少し残念そうに語る透の横で、東雲は微妙に顔を引きつらせていた。夜、誰にも知られず部屋を抜け出すため、予め薫に貰っておいた安眠を誘う線香を持参し、それを各部屋の前で焚いたうえで、蕾の元に駆けつけていたのだ。一日目の夜はもちろん、二日目、三日目もそうやって蕾の元を訪れてはアッパーやフックをくらっていたことなど、透は知る由もなかったし、知られればさらにパンチをくらっていたことだろう。
「だけど良かったよ・・・」
 透がしみじみと呟いた。
「修学旅行とはそんなに良いものなのか?」
「ちがうだろ!お前がいてよかったって言ってんだよ!帰ってきてお前がいなくなってたらどーしようかと思ってた。旅行中、こいつがソワソワしてるしオレの知らない内に何か大変な事になってんじゃないかと思ってさ」
 透は東雲の首を絞めながら半ば叫んだ。
「心配かけてすまなかった。だがもう大丈夫だ」
 体内の虫も穢毒もすっかり抜け、いつもどおりの蕾が笑みを返した。
「蕾、私には何にも言ってはくれないんだね・・・」
 心配しているのはこちらも同じ、いやそれ以上。しかも薬の手配やら何やら画策したのも自分。恩を着せるわけではないが、純粋にきみのことを思っている私には何の労いの言葉もないのかと思うと、いつもの事ながら、寂しさを隠し得なかった。肩を落とし、情けないような、悲しいような顔を向けられ、蕾は眉間にしわを寄せた。
「ば、ばか者!そんなこと言わなくてもわかっていよーが!情けない顔をしよって!!」
 蕾は頬をほんの少し染めながら、そんな東雲の目から慌てて顔をそらせた。
「言わなきゃわからないよ。ほら、何か言っておくれ?」
 やめておけばいいのに、ずいと蕾の視界にズームで現れた東雲に、ストレートが炸裂した。
「なんでこーなるの・・・?」
 誰に訴えるわけでもなく、東雲はたちまちKOされた。


 空には彼らの心を映したような星空が広がっていた。明日はきっと秋晴れの良い天気になることだろうし、薫も日が昇ると同時に戻ってくることだろう。
 初秋の夜、ここだけがぽかぽかと心地よいひだまりのようだった。
 
 
おわり