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Passion!!

Passion!!

「まったくもってイライラする!あいつがこんなにのろまな奴だとは思ってもみなかったぞ!!」
 とある昼下がり、やわらかく麗らかな陽射しを全身に受けながら、渓谷をゆるやかに走る清流を臨める高い岩の上に腰掛けた蕾は、ひたすら憤慨せずにはいられなかった。それは長年の悩みの種でもあったのだが、それを知る者は恐らくごく身近なほんの数人の者たちだけであっただろう。
 蕾の悩み、それは幼馴染みである神扇山の八番目の皇子、東皇使東雲のことであった。
 初祓いの儀の折り、蕾はいきなり東雲に告白された。その時は訳がわからず思わず殴り飛ばしてしまったものの、それからというもの、東雲は事ある毎に、いや、ほぼ毎日蕾を訪ねては蕾の気を引こうと一生懸命だった。しかし元来素直な性格ではなく、おまけに風の気質も備えていた故か、蕾は東雲を軽くあしらい、時には殴る蹴るの暴行を加えていた。もちろん東雲が嫌いでそうしていたわけではなかった。告白され、悪い気はしなかったし、言い寄る東雲が一途に思え、どことなく可愛いとさえ思っていた。しかし蕾の性格上、今更そんな自分の気持ちを打ち明けるのも癪で、気持ちの裏返しというか、恥ずかしさを隠すために自然と手や足が出てしまうのだった。そんな自分のどこを気に入ったのか、東雲は懲りずに蕾の元を訪れては優しい笑顔で蕾のそばにいた。
 幼い頃はそんな東雲のことをそれほど気にはしていなかった。しかしいつの頃からだったろうか。そう、東雲が東皇使の位につき急に大人びて見え始め、蕾も自分自身の身体の変化に戸惑いを覚え始めた頃から、急に心に引っかかるようになったのだ。
 東雲は蕾のことが好きなのだと薫は言った。それがどういう意味なのか、最初はわからなかった。蕾も東雲のことが嫌いではなかったし、いつも一緒にいたからそれが普通だと思い、それ以上の感情が芽生えることなど考えもつかなかった。しかし蕾は東雲の優しさと人柄に徐々に惹かれはじめ、いつしか東雲の事が気になって気になって仕方がなくなっていた。しかし東雲はといえば、いつものようにすました顔で蕾の元を訪れ、しばらく一緒に時を過ごした後、帰っていく。そんな淡々とした日々が続いていた。それが蕾には気に入らなかった。
 東雲は本当に自分のことが好きなのか。好きならなぜ幼い時のように自分に触れようとはしないのか。なぜ「好き」と言わないのか。東皇使なら朝飯前のはずの、そんな甘い言葉など一度も貰ったことはなかった。いや、一度だけ、たった一度だけ初祓いの時に東雲は自分のことを好きだと言った。しかしそれ以来、東皇使である彼の口から、そんな類の言葉は二度と聞かれなかった。
 自分の態度は棚に上げつつ、いつしか東雲に愛おしさを感じるようになり、確実なものを求めている自分に気づき頬がほんのり桜色に染まった。しかし東雲からは何の反応も得られず、こんな気持ちを抱いたのは自分だけなのか、と考えれば考えるほど腹が立ち、顔色はみるみる怒りの色に変わっていった。

「何をそんなにお怒りになっておられるのです。せっかくの美しい花の顔が台無しではありませんか」
 一瞬強い風が長い髪を激しく揺らしたかと思うと、風の四天王のひとり、南風王九赤句が蕾の前に舞い降りていた。
「なんだ、九赤句か。ふん、今は風だ。だからこんなにもイライラするのだ」
 蕾は手櫛で髪を流すと、九赤句を一瞥し視線を空へと向けた。
 確かに「花」の中だけで育てられたなら、蕾はその美しさに比例してさぞやたおやかで慎ましやかな皇女になっていたことだろう。しかし花の側に属しているとはいえ、風の血を半分受け継ぐ蕾は、幼い頃より風の側への行き来もあり、凛々しくも血気盛んな皇女へと成長していた。老伯将を師とし、天風軍や花士軍の指導の元、幼い頃より武術には猛、今では天界一の武将として華郷苑では御大花将の地位にあった。だがその美しさはまさしく「花」そのもので、その成長とともに花の皇女に求婚する者は後を絶たなかった。中には容姿、身分、人柄ともに申し分なく、なかなかにイケている者も少なくはなかった。しかし、もちろんそれらの輩に興味のなかった蕾は片っ端から袖にしては母である錦花仙帝に一体何が気に入らないのかと詰め寄られた。別に求婚者たちが気に入らないのではない。その者達の中に東雲が居ないのが気に入らないのだ。
 翌日、求婚者達の話をそれとなく東雲にするのだが、「ああ、そう」といつも軽く流されてしまう。焦りも何も感じないのか、こいつは!と無性に腹が立ち、無言で鉄拳を喰らわせては別れた。
 そんなことを思い出すと、よけいに腹が立ち、イライラが増した。

「一体何をお悩みか?」
 眉間にシワを寄せる蕾に、九赤句は急接近する。
「お前には関係ない」
 蕾はプイとそっぽを向いた。
「冷たくなさいますな」
 鋭い笑みを浮かべながら九赤句は蕾の前に跪くと、そっと手を取り手のひらに口づけた。
 「風」だけあって九赤句はいつも強引だった。他の誰よりもあからさまに蕾の事を欲し、感情をむき出しにすると蕾に言い寄った。これの強引さの百分の一でもあいつにあったなら・・・。蕾は九赤句を見るたびいつも思っていた。

「お前、私が欲しいか?」
 突然何を思ったのか、蕾はにやりと笑うと九赤句をじっと見据えた。無意識であるにもかかわらず、花ゆえか、その細められた瞳はまるで目の前の者を挑発するかのような、妖艶さと花の色香をたたえていた。すると少し驚いた九赤句がすっと立ち上がった。
「今更なにを。この天界においてあなたを欲しいと思わない男はおりますまい。もしあなたを得られるのなら例え争ってでも手に入れることでしょう」
 まるで蕾に魅入られたかのように九赤句の視線は蕾に釘付けだった。
「そうなのか?」
 蕾は初耳だ、とばかりに素っ気なく問い返した。そんな蕾に九赤句は親指と人差し指で蕾の顎に触れると、軽く上を向かせた。ほんの少し開かれたふっくらとした小さな花弁のような口唇が艶やかに誘っているように思えた。
「ご存知では?」
 そしてすっと自分の顔を近づけた。
「そうでない奴もいる・・・」
 寸前、顔をそらすと九赤句の手をそっと払い、蕾は立ち上がり背を向けた。蕾にかわされ、九赤句は少し残念そうにその後ろ姿を見つめた。

「争ってでも、と言ったな。・・・おもしろいことを思いついた。明日、風の者を連れて華郷苑へ来るがいい」
 しばらく何事かを考えていたかと思うと、蕾はずるそうな笑みを浮かべながら振り返った。

『東雲がそういう気なら、意地でもその気にさせてやる。でないと私は・・・』
 蕾は少し思い詰めたように顔を強ばらすと、九赤句の存在をすっかり忘れたかのように、もう二度と振り返りもせずさっさと華郷苑の方へと飛び立った。


 翌日、華郷苑は突然発布された「奪花戦」の御触書に大騒ぎだった。
「皇女さまが、最も強い殿方にご自分をお与えになるそうよ!」
「まあ、あの皇女さまが!?」
「それってそれって・・・!!」
「だけど、儀典に則って皇女さまがお籠もりになられる最奥殿までは彩八将をはじめ、花士たちが厳重に固め、誰一人として通さない構えらしいわよ」
「万が一彩八将をかわしたとしても、最後の関門を通らなければ皇女さまのお部屋までは辿り着くことができないそうよ」
「そんな猛者、御大花将の皇女さま以外にいらっしゃるのかしら?」
 期待に胸を膨らませ、花仙たちは噂話に花を咲かせた。

「一体これはどうゆうことなんだい!?」
 ひとしきり錦花仙帝に叱られた後、正式な儀典の一つでもあったため、なんとか許可を貰い自室にさがった蕾を東雲が慌てた様子で訪ねてきた。
 してやったり、と蕾はニヤリとし、それからわざと素っ気なく答えた。
「ああ、お前も見たのか?」
「見たのか、じゃないだろう?最も強い男に自分を与えるだなんて、きみは一体・・・」
 東雲は御触書の内容に抗議した。
「奪花戦なのだから当然だ」
「当然って・・・だいたいきみは・・・」
 蕾は振り返ると、詰め寄る東雲を強く睨みつけた。そして
「お前も出るんだ」
 と静かに、しかし力強く言い渡した。
「え!?」
 蕾の強い眼差しに一瞬ドキリとしたが、それ以上に発せられた言葉に思わず聞き返さずにはいられなかった。しかし思うように言葉が浮かばず絶句していると、さらに蕾は言った。
「私を他の者に取られたくないと思うなら、お前も出ろ!」
 真剣な眼差しで凝視され、東雲は呆然とした。これはちょっとした賭だった。ここで東雲が興味を示さなければもはやこれまで。蕾の作戦も失敗というわけだ。しかし東雲は躊躇していた。どうやら少しは気になるらしい。
「だ、だけど。私には戦闘能力はないし・・・」
 ようやく言葉を発することができた。だがそれはただの言い訳にすぎなかった。
「では私が誰かのものになっても良い、ということだな?」
 蕾はさらに詰め寄った。
「そ、それは・・・」
 いくら花士たちの護りがあるとはいえ、万が一、ということもある。
 慌てた様子の東雲に、少し本心に近づいたと思ったものの、煮え切らない態度の東雲に痺れをきらせ、蕾は思わず怒鳴ってしまった。
「お前はいつも本心を見せてはくれない!!私は・・・私は・・・いつも待っているのに・・・!」
「?それを言うならきみだって・・・」
 東雲は何か言いたげだったが、それは蕾に遮られ最後まで伝えることは叶わなかった。
「とにかく!私はお前の答えが知りたい。明後日の奪花戦、お前も必ず参加するんだ。いいな!」
 ほぼ強制的に言い渡し、しかし最後の最後まで答えの出ない難問に、自分のしでかしたこととはいえ、蕾は一抹の不安を抱かずにはいられなかった。


 その日、花、風、樹、光、雷と多くの者たちが花の皇女を求め集まった。
「よいか、皆の者。何人足りとも決して皇女さまのおわす最奥殿まで行かせてはならぬぞ!」
 老伯率いる彩八将は皇女を護るため、挑戦者を蹴散らすため、万全の体制を整えていた。
「・・・ん、一人足らぬではないか?」
 作戦を授ける折り、老伯が八将の一人、曙橙将軍の姿がないことに気づいた。
「橙士ならあれに・・・」
 申し訳なさそうに、藍士が参加者の群れの一角を小さく指差した。そこには誰よりも気合いの入った橙士の姿があった。
「・・・。まずはあやつからじゃな」
 額に血管を浮き上がらせ、老伯は呟いた。最初の標的が決まった。

 太鼓と法螺貝の音を合図に奪花戦は始まった。蕾の宮の最奥殿、つまりは寝所に辿り着きし者に自らを与えると花の皇女は言った。美しく凛々しい皇女を欲しいと思わない男どもはいなかった。我こそはと腕に覚えのある者もそうでない者もこれを機に花の皇女を我がものにと勇んだ。その中には風の四天王南風王九赤句をはじめ、東風王、西風王、北風王もいた。普段から風の側を行き来していた蕾ではあったが、風の者にとっても高潔な皇女は得難い花であった。
 しかし今日は誰もがそんな皇女を得る権利を得ることができるのだ。

数知れぬ男どもが一斉に飛び出した。待ちかまえていた花士達がそれを阻み、すり抜けていく者達を彩八将の六人が待ち構えた。多くの者はそこで打ちのめされ、しかし風の四天王ともなると、花将たちを手こずらせ、ついには突破、さらに先へと進んでいった。

 宮の門前では老伯将がひとり佇んでいた。そこに一陣の風が吹き付け、束ねられた長い髪を揺らした。
「老伯がおいでになるということは、ここを抜ければ皇女を手に入れることができるというわけか」
 東風王が言った。
「なんの。ここから先は何人足りといえども通しはせぬ!」
 予想通り訪れた四天王を老伯は鋭い眼差しで睨みつけた。
「それはどうかな」
 南風王がにやりと笑った。
「いざ!」
 風の四天王が構えると、老伯は得意の長棒を構えた。

 一斉にかかってくる風を老体とは思えぬほどの早さと身のこなしで交わし、棒であしらった。
 奪花戦では血を流す事は許されない。争っての結果であるにしろ、花の皇女に血は似つかわしくはない。いかにして相手を傷つけず、その動きを封じ込め、戦闘意欲を失わせるかにかかっている。相手の命を奪うだけが武将ではない。真に強い者は力量だけでなく、知力にも秀で、時として相手に命を与えたまま勝利を得る。奪花戦で求められる「最も強き者」の言葉にはそういう意味も含まれていた。
「さすがは前御大花将殿、ということか」
 無駄のない機敏な動きに西風王が賞賛した。
 少し息の上がった四人に比べ、老伯は涼しげなままだった。しかしいくら老伯といえど、風の四天王、四人が相手では時間が経つほどに不利になっていくことは明らかだった。
 ここはなんとしても早く片づけたい老伯と、時間を稼ぎ、老伯を疲れさせ、突破口を開こうともくろむ四天王たちの睨み合いになった。
 ふいに四人が目配せしたかと思ったとたん、凍るような凄まじい風が吹き付け、老伯の身体を絡め取るように巻き付いた。
「!?」
「今だ!」
 と、東風王と北風王が同時に老伯に飛びかかった。
「うわあっ!」
 しかし風のすき間をついて飛び出した長棒が見事な早さで二人の身体を突いた。それを見た西風王と南風王がすかさず老伯に飛びかかった。と、南風王だけが老伯の頭上を飛び越え、あっという間に門の中へと滑り込んだ。
「なに!?」
「あ、こら、九赤句!!」
 不意を付かれ、頭上を突破された老伯が驚いて振り向いた。西風王は抜け駆けされ、抗議の拳を振り上げた。
 隙を見せた西風王をガツンと打ちのめし、すぐさま南風王を追おうとしたが、すさまじい早さで飛んでいく風は、あっという間に小さな点になってしまった。
「かくなる上は、あのお方が必ずや皇女さまをお護りくださるだろう・・・」
 老伯は縋る思いで最奥殿の方をじっと見つめた。

 老伯のもとを抜けてから、護りの者は誰一人として見あたらなかった。やはりあれが最後の関門だったのだと思い、九赤句は安心し最奥殿を目指した。
 程なく辿り着き、その扉に続く外階段の前にふわりと降り立った。
 この中にあの美しくも妖艶な皇女がいて、それが自分だけのものになるのだと思うと、ゾクゾクした。
 歓喜の笑みを静かに浮かべ、九赤句が一歩踏み出した時だった。足下に小さな風の渦が走った。
「!?」
「ここから先は通さないよ」
「あ、あなたは・・・!?」
 柱の影からひとりの男が現れた。その姿を見て九赤句は絶句した。
「皇女が欲しいのなら、私を越えていかなければいけないよ」
 男は微笑んではいるものの、目が笑ってはいなかった。そんな背筋を寒くさせるような微笑みをたたえながらさらっと言うその男に返す言葉がなく、九赤句はその場にガクリと膝をついた。
 皇女を目前に、戦わずして諦めたのだった。


 辺りはとても静かだった。
 恐らく大勢の者が最初の関門で脱落し、例えそこを突破した者がいたとしてもここまで辿り着ける者は誰一人としてないだろう、と思った。当然だ、と寝台に腰掛けていた蕾はほくそ笑んだ。しかし、本当はそれでは困るのだが・・・。
 東雲はちゃんと参加しているだろうか、花士たちに一番に打ちのめされてしまったのではないだろうか・・・。もしかして無茶をさせてしまっているのだろうか。
 一瞬大けがを負った東雲の姿が脳裏をよぎり、ほんの少し後悔した。いや、東雲に限ってそんなことは・・・。次々と浮かんでくる最悪の事態を振り払うように頭を大きく左右に振り、蕾はひたすら東雲を信じたかった。
 カタリ・・・
 その時小さな物音に気づき、蕾は立ち上がり振り返った。
「あ・・・」
 すると必死に窓によじ登り、片足を部屋の中へ突っ込んだ状態の東雲と目があった。
「お前・・・東雲!?」
「や、やぁ」
 えらいところを見られたとばかりに愛想笑いしたとたん、窓枠から手を滑らせて部屋の中に滑り落ちた。
「あいたたた・・・」
「お前、どうやってここまで来た!?」
 誰かと戦った様子もなく、一糸乱れぬ姿を不思議そうに、しかし嬉しそうに見ながら蕾は東雲に手を差し出した。
「あ~。う、裏から・・・」
 東雲はばつが悪そうに言った。
「はぁ!?」
「あ、いや、その・・・。私にはもともと戦闘能力なんてないから、表から訪ねると真っ先に撃退されてしまうだろ?だから裏から来てみたら、誰もいなくて、すんなりと・・・」
 戦わずして花の皇女を手に入れる。流石というか何というか、東雲が考えそうなことだと思った。
「ぷっ・・・」
 そんな策士の東雲に蕾は思わず吹き出し、大声で笑った。
「あのねぇ、これはこれで大変だったんだよ?誰にも気づかれないように裏手に回って・・・ほら、見つかったらみんなこちらに押し寄せてきかねないからね。それにきみとは違って私は窓から出入りするのは得意ではないから・・・」
 真剣に説明する東雲に、笑いが止まらず、蕾は肩を小さく揺らしながら東雲を見た。
「お前らしいな」
「そうでもないけどね・・・ははは」
 東雲もつられて苦笑いを浮かべた。

「ところで蕾、きみは私の本心が知りたいって言ってたよね?それは一体どうゆうことなの?今日の奪花戦と関係があるのかい?もしかして・・・」
 東雲は打ち付けた体をさすりながら、差し出された蕾の手を取りゆっくりと立ち上がった。
「お前、まだわからないのか!?」
 この期に及んでまだそんなことを問う東雲を怪訝そうに蕾は見つめた。
「いや、そういうわけではないけど。私だってきみの本心を知らないのだよ?」
「そんなこと・・・!」
「きみは私に気づかそうとしているけど、きみは私のことを気づきもしない。ずるいのじゃないかね」
 ほんの少し、東雲は蕾に詰め寄った。
「・・・私はずっと前から気づいていた。お前だって気づいているはずだ!」
 蕾は東雲以上に詰め寄り、睨み返した。
「だったらどうしてこんなことを・・・」
「お前がはっきりしないからだ!ひとこと、ひとこと言ってくれれば私だって・・・!」
 東雲のたったひとこと、それさえあればこんな遠回りな事をせずに済んだものを。つい先ほどまでの笑顔は消え、怒鳴る蕾の語尾がかすかに震えているのがわかった。
「・・・では、今回のことはすべて私のせい?」
「そうだ」
 蕾はきっぱりと言い切った。
 二人の間に、緊張にも似た重苦しい空気が流れた。


「私は・・・きみにまたふられるのが怖かったんだ。初祓いの時、きみに気持ちを打ち明けて殴られただろ?好きだなんて言ったら、また殴られるんじゃないかって・・・いや、普段からよく殴られてはいるんだけどね・・・。だけどその一言を言ってしまうときみが私のそばから消えてしまうのじゃないかって、とても不安だったんだ」
 その場の空気に耐えきれず、東雲は深くため息をつくと観念したのか、少しずつ話し始めた。
「確かに殴りつけはしたが、ふった覚えはないぞ?」
 驚いた蕾はあっけらかんと言い放った。
「そう?」
 東雲は不思議そうに、軽く返した。
「そら、またその言い方!求婚者の話をした時もそうだ。お前のそんな物言いがイライラするんだ。他人事ではないのだぞ。こう、もっと・・・」
 東雲の余所余所しい物言いに憤慨するものの、言葉が見つからず蕾は考え込んでしまった。
「もっと、何?」
 そんな蕾の顔を東雲がのぞき込んだ。いつもと微妙に違うその表情に、一瞬胸が高鳴るのを感じた蕾は思わず目をそらした。

「・・・殴られても蹴られても、私はきみのそばにいられるだけで幸せだった。大勢いる求婚者たちにいちいちヤキモチを焼いてもキリがないし、たとえ風であっても、いつかきみが私の方を向いてくれるんじゃないかと信じていたからついついあんな態度をとってしまったんだ。その結果、きみがこんな突拍子もないことを考えつくなんて思っても見なかったからちょっと焦ったけどね。だけど嬉しいよ。きみがこんなにも積極的になってくれるなんて」
 東雲はやわらかな笑みを浮かべた。
「お前がのろまなだけだ」
 そんな東雲からわざと視線をそらすように、蕾は口唇を尖らせツンと横を向いた。
「じゃあ、私はもうきみにふられることはないのだね?」
「・・・だから、ふった覚えはないと言っているだろう!?」
 蕾は顔をそらしたまま、小さく怒った。

「じゃあ蕾、約束だよ」
 東雲は蕾の両肩にそっと手をかけると、自分の方に向かせた。
「ん?」
「最奥殿に辿り着いた者にきみをくれるって」
「ああ。欲しければくれてやる」
 いつも以上にまっすぐに自分を見つめ、自分を欲していることを認めた東雲に、蕾は目を細めて微笑んだ。
「本当に?」
 東雲は少し驚いた風を装って聞き返す。
「本当だ」
 しかし帰ってくる返事は喜びに満ちた確固たるものだった。
「だけど私は奪花戦に相応しいような強さは持っていないよ?」
 唯一辿り着けはしたものの、戦闘能力のない自分に少し困ったように首を傾げ、東雲は言った。
「気にするな。お前は東雲だから、それだけでいいんだ!」
「?だけど・・・」
「うじうじ考えるな!だいたい天界一の武将である私より強い者などいると思うのか!?」
 急に弱気になった東雲に、蕾は真正面から怒鳴った。
「そ・・・、それもそうだね」
 自分の目の前にいる美しくも妖艶な花の皇女が、天界一の武将であったことを思い出し、東雲の笑顔が一瞬引きつった。
 花の皇女でありながら、同時に御大花将をも務める蕾。いつもその可憐で大きな瞳に見つめられると胸が高鳴り呼吸もままならない程だった。風に揺れる絹糸のような髪や、鍛えられてはいるが華奢でしなやかな肢体から無意識のうちに発せられる、得も言われぬ芳しい花気は東雲の神経を痺れさせたちまち心を魅了し、決して放しはしなかった。そして日々溢れてくる愛しさを持て余し、気が付けば手を伸ばしそうになる自分を今の今まで必死に押さえ込み、耐えてきた。しかし今、その花は自ら自分の腕の中にひらひらと舞い降りようとしていた。東雲はそれを両手でしっかりと受け止め、今すぐにでも強く抱きしめ魂までも愛したい、と心から思った。

「お前は強くなくていいんだ」
 東雲を見つめたまま、蕾は小さく囁いた。
「え、それは・・・」
「お前のことは私が護ってやる」
「え?私が皇女のきみに?」
「何だ、不服か?」
「いや、そうゆうわけではないのだけど、なんだかフクザツ・・・」
 いくら蕾が最強とは言え、皇女に護られるのはどうかと思った東雲は、少し考え込んでしまった。
「なら、お前は命をかけて私を愛すればいい」
 蕾は熱い眼差しでじっと東雲を見つめた。
 命をかけて愛しい者を護る自分に対し、その命をもって自分を愛することを望む蕾の熱情に、たちまち東雲の心の奥が熱くなった。

「蕾。もし、私以外の者がここに辿り着いたらどうするつもりだったの?」
 その大きく美しい瞳に心を吸い込まれそうになりながら、東雲は万が一の場合のことを尋ねた。しかしその質問に蕾はいたずらっぽい笑みを浮かべて答えた。
「実はな、誰もここには辿り着けないのだ」
「え?それはどういうこと?」
 蕾はくすくすと笑った。
 最奥殿の入り口、最後の関門となる場所は一人の戦士によって護られていた。それは唯一辿り着いた南風王すら一瞥で撃退してしまうほどの猛者、即ち玉風大帝であった。大事な皇女に指一本触れさせてなるものかと、自ら買って出た役目だった。
 しかし南風王を追い返し、無事に皇女を守り通したと思い、子供のように喜び満足げに笑みを浮かべる玉帝と老伯が、東雲にしてやられたことを知り、大きなショックを受けるのは随分後のことになる。

「それでも、お前なら必ず辿り着けると信じていたぞ」
「きみって本当に・・・」
 呆れながらも東雲もつられてくすくすと笑った。

「東雲、お前の口から聞きたい。本当のことを言ってくれ」
 蕾は東雲の瞳を今までにないくらい、その黒曜石の瞳に映る自分自身を見つめるかのようにしっかりと見つめた。
「ああ。本当はずっと言いたかったんだ。・・・蕾・・・昔も今も、ずっときみだけを好きだった。愛しているよ・・・」
「私もだ・・・東雲」
 東雲は蕾を愛おしそうに見つめ返すと、そっと身体を引き寄せ、口唇を重ねた。そして再び蕾を見つめると、心から誓わずにはいられなかった。
「蕾・・・私は私の命の限りきみを、きみだけを愛し続けるよ」

 ずっと待ち望んでいた腕の中にようやく抱きしめられ、ついに蕾は身も心も東雲のものになった。

 それからというもの、東雲は気が気ではなくなった。
 奪花戦の勝利者は「該当者なし」と告知されたせいでその後も蕾の元には男達が絶えず訪れ、隙あらば皇女を得ようと蕾を誘惑した。花である時の蕾は見た目、それはそれは慎ましやかでお淑やかに振る舞っていた。しかし風の気質が強く現れた時などは、そんな男達を手玉にとっては楽しんでいた。

「心配するな。私はおまえ以外の男に興味はない」
 そう言う蕾ではあったが、風の四天王、特に南風王は蕾と東雲のことをうすうす感づきながらも手をかえ品をかえ蕾に迫り、今日も、今しも口唇と口唇が触れんばかりの距離に近づいては口説き落とそうとしていた。そんな光景を目の当たりにする(させられる)たび、東雲は心の縮む思いをした。しかしそんな日の夜は必ず蕾が東雲を訪ね、押し倒した。

「蕾、この状況を楽しんでいるね?」
「あたりまえだ。そうでもしないとお前は私を見ないだろう?」
「そんなことはないよ。私はいつもきみだけを見ているよ。見ているからこそ・・・」
「・・・だったらいいんだ・・・ぁ・・・」

 いつしか二人の気は溶け合い、強く深く結びつく。そして蕾は東雲の耳元でそっと囁くのだった。

「私はいつだってお前だけのものなのだから・・・」

 しかし、東雲の気苦労はついぞ絶えることはなかった・・・。

おわり