ka-rin-blog.cocolog-nifty.com > others

天使昇天

天使昇天

 真夏の太陽が照り付ける東京都内の昼下がり、車が行き交う先にはゆらゆらと陽炎がゆれていた。そんな中、ちはやと影艶は買い物袋を下げて渋滞する車をまたぐ歩道橋を並んで歩いていた。
 タッタッタッタッタッ…前方から髪をなびかせて一人の少女が駆けてくるのが見えた。その少女は回りの人には目もくれず、二人の前で立ち止まると、三度大きく呼吸し、顔も上げずに「こ、これ読んでください!」
といきなりちはやに封筒を押し付け、やはりうつむきながら元来た道を小走りに引き返していった。突然の事で呆然とするちはやと影艶。
「あっ」
呆気にとられながらも、少女の後ろ姿を見送っていると、少女が転んだ。少女はすかさず立ち上がり、長めのフレアスカートをはらうと、二人の方を振り返った。転んだのを見られていたのを知った少女は、顔を真っ赤にし再び走りだし、その姿は階段を下りる雑踏の中へと消えて行った。


「…」
いきなり押し付けられた封筒を持て余しながら、ちはやは戸惑っていた。
「もしかしてこれはラブレターというものではないだろうか…」
ちはやは影艶を見上げた。
「ねえ影艶、どうしようこれ」
「…」
影艶はちはやの問い掛けに答える変わりに包丁を持つ手を休みなく動かせた。
「ねえ、影艶ってばぁ!」
床に座り込んでいるちはやが、キッチンに立っている影艶のエプロンの裾を引っ張りながら言った。
「前から言っているだろう、アーシアンには関わるな」
 一瞬包丁の動きを止めると、駄々をこねる子供を叱るように、キッと睨みをきかせ影艶は言い切った。ちょっと不満そうな顔をするちはや。影艶は包丁を置くと、鍋の方の準備に取りかかった。
 なんとかして影艶から助言を得ようと思案を巡らすちはや。ややあってちはやは口を開いた。
「もしかしたらこれ、影艶宛ての手紙かもしれないよ。ほら、彼女慌ててたでしょ?だから俺と影艶とを間違って渡したんだよ。だって影艶の方が女の子にもてそうな顔してるもん」
平然とした顔でちはやは言ってのけた。
ガラガラ…ガシャン、ガッシャーン!
影艶は頭上の収納棚から鍋を取り出そうとして、雪崩を起こしてしまった。
「ったく、かしてみろ」
不本意にも影艶はちはやの手から封筒を奪い取ると、封を切った。しばし目を通すと、「ほれ、お前宛てだ」とピラッと便箋をちはやに渡した。見ると便箋にはこう書かれてあった。


  『前略 ちはや様
    一生のお願いです。私とデートしてください。    
    今度の日曜日、AM十時、○×公園の「七つの
    噴水」の前で待っています。                            
                            美奈穂』


「へたなラブレターだな。もっとましな文章が考えられなかったのか?」
鍋に材料を入れながら、あきれたように影艶がなじった。
「うーん」
それでも悩むちはや。
「どうしよう影艶」
再び助言を乞おうとしたが、やっぱり冷たくあしらわれてしまう。
「人に意見を求めるな、自分で考えろ。ただしアーシアンには関わるな!」
最後の部分だけやたら強調して言う影艶。なんか台詞に無理がある。ちはやは思った。
 「自分で考えろったって俺、こんなこと初めてだし、どうしていいのかわかんないから影艶に相談してるのに、冷たいなぁ」  
と言いたいのを我慢して、ちはやはスープをすすった。

 そして数日後の日曜日、その日は朝から雨が降っていた。ちはやは時計と影艶の顔を交合に見ながらソワソワしていた。
「どこの誰ともわからないアーシアンの手紙に誘われて、また妙なことに巻き込まれるのはごめんだぞ!」
ソファーの上に寝転がって本を読んでいた影艶は、窓越しに雨の街を覗いているちはやに釘を刺した。たしかに、突然現れた見知らぬ少女にデートをしてくれと言われ、のこのこ出ていくなどナンパじゃあるまいし、ちょっと考えものである。しかし一見おとなしそうな少女が告白するなど、勇気のいることだと思った。それに態度からして何か妙な下心があるなどとはちはやには思えなかった。
 窓に打ち付ける雨の滴に、少女のうつむいた顔がだぶったような気がした。
 時計は既に十時を回っている。テレビの気象情報では既に大雨洪水警報が発令されていた。
「ただのいたずらに決まっている。本当だとしてもその子だってこんな大雨の中出てこないだろう」
影艶は再度言った。
「ちはや、おい、聞いてるのか?」
目線を本から外し、窓に向けたがそこにはもうちはやの姿はなかった。
「…ったく」
影艶はゆっくり起き上がると、窓際に立ち、ちはやと同じ様に雨の街を覗いた。


 パシャパシャパシャ…腕時計を気にしながら手紙の場所へと急ぐちはや。警報が出ているせいか、人通りは無いに等しかった。足元も強い雨のせいで白く霞んでいる。
「こんな雨だから来てなければいいんだけど…」
日頃、影艶に耳にタコができるほど「アーシアンには関わるな」と言われているけれど、やっぱり気になる。ちはやは影艶の目をぬすんでマンションを抜け出してきたのである。

 公園の七つの噴水は、小さい六つの噴水が中央の大きい噴水を丸く囲んで、色々なパターンで水を踊らせ、夜になると七色のライトが点り、一味変わった演出を見せてくれる。しかしこの日は生憎の大雨、それは重々しい姿でそこにあった。そして待ち合わせ場所によく使われるこの噴水の前で、人影を見つけたちはやは驚いた。例の少女がそこに立っていたからだ。
「ちはやさん!」
ちはやの姿を見つけた美奈穂は嬉しそうに微笑み、ちはやの側に子犬のように駆け寄った。
「本当に来てくださったんですね。ああよかった、わたし遅刻して今来たばかりだったんです」
足元を見ると、美奈穂のスカートは跳ね上がった雨でずぶ濡れになり、肩の辺りも傘を叩き付けた雨の滴で濡れていた。おそらく来るか来ないかわからないちはやのことを、ここでじっと待っていたのであろう。もしちはやが現れなかったとしても、美奈穂は一日中この場に立っていたに違いなかった。
「本当によかった…」
美奈穂はうつむき、微笑んだ。


「で、それからどうしたんだ?」
雨に濡れて帰ってきたちはやをバスルームへ追いやり、ドア越しに尋問する影艶。
「喫茶店に入って一時間程で別れた…」
シャワーで髪をさっと洗い、冷えた体を暖めながらちはやは答えた。
「…それだけか?」
ほんの少し間を置いて再び影艶が問いかけた。別に何かを期待していたわけではない。いや、強いて期待していた事と言えば、アーシアンとは無関係でいてくれると言う事だろう。
「…あ、また会う約束してきた」
タオルで頭をくしゃくしゃ拭きながら、ちはやがバスルームのドアを開けた。ちょっと不服そうな顔をして、腕組みする影艶の前を通り過ぎ、ちはやはキッチンに入った。そして冷蔵庫の扉を開け、オレンジジュースのパックを取り出した。
「…アーシアンに関わって傷付くのは、いつもお前なんだから…」
まだバスルームのドア越しに立っていた影艶がポツリと言った。
「え?なーにー?」
何か言った?とばかりにちはやがキッチンから顔だけを覗かせた。
「何でもない」
影艶は言うと、濡れたちはやの服の洗濯に取りかかった。

 しかし次の日の夕方、ちはやは的はずれのような顔をして帰ってきた。
「どうしたんだろ、美奈穂さん。昨日あんなに俺に約束したのに…何時間待っても来なかったんだ」
不思議そうに、しかししょんぼりした顔をするちはや。「だから言ったんだ。お前はからかわれただけなんだよ」ティーカップを温めながら、影艶が横目で言う。
「そんなことないよ!そんなこと…美奈穂さんはあんな大雨の中、来なかったかもしれない俺を自分が遅刻したって嘘ついてずっと待ってたんだよ!そんな彼女が自分から約束破るはずなんて、絶対ないよ!」
自分の台詞をむきになって打ち消すちはやに影艶は驚いた。
「一度会ったくらいで何がわかる…?」
ムッとして影艶は冷ややかな視線をちはやに送った。一瞬言葉に詰まったちはや。
「でもっ…!」
ちはやは掛けていた椅子を倒し、立ち上がった。これ以上言うと本当に喧嘩になってしまう。影艶はさっさと二人分のお茶を入れてしまうと、自分のカップだけを持って、無言で席を立つと隣の部屋へと姿を消した。


 それから数週間、ちはやは噴水の前へ毎日通った。しかし美奈穂は現れなかった。
 そしてある日、影艶はふと窓越しに例の彼女の姿を見つけた。道路をはさんでマンションの向い側、電話ボックスの横でじっと立っているのである。
「よくここがわかったな…ちはやを待っているのか…?」
影艶は思った。けれどちはやは彼女がすぐそこにいることを知らない。影艶は口を閉ざしていた。そのうち諦めて帰るだろうと思ったからである。
 けれど、二時間経っても三時間経っても彼女はそこにいた。
「…ちはや、悪いが牛乳を買ってきてくれないか」
テレビを見ていたちはやに影艶は言った。
「え?牛乳ならまだ冷蔵庫に残ってるじゃない」
ちはやは視線をテレビから外すことなく答えた。
「俺は新しいのが飲みたいんだ!いいからさっさと買ってこい!」
命令調で、半分追い出すようにちはやを外に出すと、ドアに背をもたせかけ、溜息をついた。
「何だよ影艶ってば最近こうるさくなっちゃって…」
ちはやはドアに向かっておもいきりアカンベーをした。
「それにしても…何で…?」
三階分の階段を下りてちはやはマンションの外に出た。
「あ…美奈穂さん…?」
ちはやはマンションの入口の真向かいにあった電話ボックス横に美奈穂の姿を見つけた。
「影艶?」
ちはやはマンションの自分達の部屋を見上げた。窓越しに影艶の顔がちらっと見え、ちはやに気付いた影艶はスッと顔を引っ込めた。
 クスッ…。笑うとちはやは美奈穂の側へ駆け寄った。
「怒ってませんか?」
美奈穂は不安気に、うつむき加減で尋ねた。二人はマンション近くの小さな公園のベンチに腰掛けていた。小さな子供達が数人、ブランコで遊んでいた。
「え?何が?」
ちはやはニッコリ笑って答えた。
「わたし小さい頃から体が弱くて、あの日もあとから熱を出してなかなか下がらなかったんです。…もう会ってもらえないと思ってました」
「美奈穂さんが何の理由もなく、約束破るはずないと思ってたよ」
気落ちしている美奈穂を励ます意味でもちはやは明るく言った。
「?一度会っただけなのに?」
美奈穂は顔を上げ、不思議そうな視線をちはやに注いだ。
「うん、なんとなくそう思ったんだ。でも俺美奈穂さんの体のこと知らなかったから…ごめんね」
ちはやは申し訳なさそうに首をすくめた。
「体が弱いってどこがよわ…」
ちはやが言いかけた時、美奈穂が立ち上がった。
「ごめんなさい。わたしこれから病院に行かなきゃならないの」
遠くの方で、三時を告げる鐘の音が聞こえた。
「迷惑でなければ明日…もう一度だけ会ってもらえませんか?」
美奈穂はちはやと向い合うと、ためらいがちに言った。
「…もう一日だけなんて…そんな、いつでも会うよ。俺でよければ」
ちはやの胸の中を一瞬黒いものがよぎった。そして一歩前に踏み出そうとした時、みなほは軽く会釈をし、「ありがとうございます」と丁寧に挨拶をすると、走り去って行ってしまった。まだ日の当たる公園で、彼女の影が薄らいでいくような気がした。


 次の日、空は雲一つない晴天だった。昼間の気温も三十度を越し、真夏日になると予想されていた。
 二人は都内の遊園地に足をはこんでいた。美奈穂のたっての願いでそうしたのである。
 ジェットコースターに乗り、メリーゴーランドに乗り、二人は一通りの乗り物を制覇した。美奈穂は小さな子供のようにはしゃぎ、生気に満ちあふれているかのように見えた。初めて会った時の印象とはかなり違うものがあった。しかしちはやは彼女を喜ばせてあげたいという思いと、胸に湧く不安をかき消したいという思いから、黙って美奈穂を見守っていた。
 闇が降り、閉園時間も迫ってきた頃、ちはやが美奈穂に尋ねた。
「ねえ、さっきから聞こうと思ってたんだけど、その胸につけている羽はなに?」
ちはやは美奈穂の胸元にブローチのようにつけてある白い羽を指差した。
「これ?…これは天使の羽なの」
美奈穂は服から羽をはずすと、ちはやに見せた。
「天使の!?」
ちはやは驚き、まじまじとその羽を見た。
「本当は鳩の羽なの。でもあんまり白くて綺麗だったから何となくお守りみたいに持ってたの」
「お守り?」
「うん、手術が成功しますように…って。…わたしね生まれつき体が弱くて、今までも何度か手術してきたの。その度にこの羽をにぎりしめて…」
美奈穂は指先で羽をつまみクルクル回した。遊園地のイルミネーションと無数の星明かりは、近くの海を昼間のように照らしていた。
「…今度アメリカで手術することになったの」
少し躊躇して美奈穂は言った。ちはやは月明りに照らし出された美奈穂の横顔を見た。美奈穂は今にも消えてなくなりそうな微かな笑みを口元に浮かべていた。
「明日の午後の便で行くの。だからその前にこうしてちはやさんとお話をしたかったの…」
「で、でも手術が終わって帰ってきたらいつでも会えるじゃないか」
美奈穂の台詞の語尾に重なるようにちはやは言った。一瞬、風が起こり美奈穂の手から羽を奪うと海の方へと消えていった。
「学校に行ってた頃、(今は休んでるけど)帰りによくちはやさんの姿を見たわ…。お日様みたいに明るくて、元気で、隣にいる背の高い人が『ちはや』って呼ぶと、ちはやさんいつも嬉しそうに笑ってた。そんなちはやさんを見てたら『ああ、天使が笑ってる』って思えて、それでいて一目惚れかな…なんて」
美奈穂は恥ずかしそうに打ち明けた。
「人間、土壇場になるとすごく大胆になれるものなのね。アメリカ行きが決まったとたん、『今』しかないって思ったわ」
美奈穂は一生懸命笑顔をつくろうと努力した。が、瞳からは、裏腹に大粒の涙がこぼれ落ちた。
「わたし、天使になると思う…でもその前に誰かを好きになりたかった…好きになれて良かったと思う。雨の日以来会えなかったらどうしようかと思った…でもこれであの羽なしでアメリカに行ける」
美奈穂の声は震えていた。そして羽の消え去った方を見つめ、それからちはやににっこりと笑いかけた。涙は絶えず美奈穂の頬を濡らしていた。ちはやは何も言えなかった。言える筈がなかった。昨日感じた不安が、更に大きくなっていたからだ。
 園内の閉園を告げるアナウンスが夜空に響いた。


 美奈穂を家まで送っての帰り道、ちはやは影艶と出会った。片手にコンビニの袋を下げてはいたが、途中までちはやを向かえにきていたことは一目瞭然であった。
 暗闇に影艶の姿を見つけると、ちはやは駆け寄った。
「影艶、お願いがあるんだ…」
ちはやはすがりつくように言った。
「?」
 夜の闇は益々濃くなっていった。


 次の日、空港の入口でちはやは美奈穂を待っていた。そのちはやの姿を見つけた美奈穂は驚いた。
「これ、お守り」
ちはやは美奈穂に白い羽を手渡した。
「あ…」
その羽を受け取りながら、ちはやの顔を見た。
「本物の天使の羽だよ」
子供におとぎ話を信じ込ませるようにちはやは言った。
「本物!?」
美奈穂は目をパチクリさせ、じっと羽をみつめた。  
「そう、本物!だから手術はきっと成功するよ。そしたらまた遊園地へ行こう」
ちはやは目一杯明るく振る舞った。美奈穂は純白で不思議な手触りのする天使の羽を見つめ、涙を流しながら、それでも笑顔で答えた。
「うん、そうだね、ちはやさんがくれた本物の天使の羽だもん…ありがとう、ちはやさん」
美奈穂は手の中で小さな羽を抱きしめた。

 ロビーのガラス越しに美奈穂の乗った機を見送るちはや。側には影艶もいる。
「美奈穂さん、多分帰ってこないよ…影艶、わかるだろ…?彼女は本物の天使になるんだ…」
影艶の胸の中で涙をこぼすちはや。影艶は無言のままちはやの肩を強く抱きしめた。

 美奈穂を乗せた機は轟音と共に離陸していく。
 ちはやは涙をこぼすばかりであった。


END