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現身の真白き海に花束を

現身の真白き海に花束を

 シンと静まり返った深夜の研究室に、突然鳴り響いた警報装置。そして逃亡者の影が二つ。予期せぬ事態に、慌ただしく動き回る研究員達。逃亡者の一人は内部事情にくわしいらしく、警戒厳重な研究室を難無く外へと脱出していた。しかし追っ手はすぐさま二つの影を追い始めていた。


       *

「さて、今回の仕事の件だが…」
石田法律事務所の応接室の机の上で、書類を整理しながら所長が口をきった。向かい側のソファーには、十夜とお嬢がいた。十夜はお嬢の方を見ると、「なんでお嬢がここにいるんです?」みたいな、少し照れたような顔をし、反対にお嬢は十夜を見て、「また一緒に仕事ができるのか」と嬉しそうな顔をしていた。しかし二人は既にペア的存在であり、常に一緒にいる時間の方が長かったりする。だからそんなことを考えるのも今更…という感じでもあった。
「君達、見つめ合うのもいいが少しは私の話も聞いてくれないか」
という台詞で我に返る十夜とお嬢。
「仕事の内容は簡単そうで難しい、子供のボディーガードだ」
所長はハンカチで汗を拭きながら、一組の書類を片手に告げた。
「子供のボディーガード!?」
とソファーから身を乗り出したのは十夜であった。
「そう、子供の…しかし子供と言っても普通の子供ではない…君達より多種の能力を持ったエスパーだ」
二人の目が一瞬真剣になった。
「でもそんなすごいエスパーなら、ボディーガードなんて必要ないんじゃないの?」
とお嬢。
「あ、いや、それはそうなんだが、一応依頼がきたんでな、この仕事ならお前達が適任だと思って」
「ま、そりゃそうでしょうけど。で、報酬は?」
目をキラキラさせてお嬢が問うた。
「これだけ。一人当たりね」
と契約書を見せる。
「や・る!」
二つ返事のお嬢。
「俺はやりませんからね。子供のお守りなんてやってられませんよ」
と席を立とうとする十夜。
「そんな!ほら、これ見て!場所遠いよ、きっと出張旅費も別に出ると思うし、俺がいない間十夜ごはんどうするつもり!?」
と書類を持って十夜を説得するお嬢。
「ごはんくらい外で食べます!」
ツンとする十夜。
「だったらもう十夜が美味しいって言ってくれたナスのグラタンも、しめじご飯もかぼちゃのプリンも焼きうどんもみんな…が…もがぁ…つくってあげなーいっ!!」
途中で顔を真っ赤にした十夜が、お嬢の口をふさごうとして失敗した。
「商談成立…かな?」
と二人の様子を見てペンを置く所長。
十夜はしぶしぶソファーにかけなおした。
「今回の仕事の契約期間は二十日間。二人とも学校に欠席届けを出しておくこと。それと、これがカードする子供の資料だ。熟読してすぐにでもこの住所の所まで行ってください」
二人は関係書類を手にすると、すぐさま事務所を後にした。

       **

「十夜、まだすねてるの?」
十夜とお嬢以外ほとんど誰も乗っていない列車のシートに、向かい合わせになって二人は座っていた。ほとんど強引といっていいほど、お嬢の二つ返事で仕事をすることになった十夜。十夜は先程から黙りっぱなしで書類に目を通していた。
「お弁当食べる?」
唐突に弁当の包みを取り出すお嬢。
「食べる」
バサッと書類をたたむと、黙々とお弁当を食べ出す十夜。 その数十分後、二人を乗せた列車は目的地近くの駅に着いた。いつ雪が降出してもおかしくない空模様を眺めながら、二人は依頼主の住む屋敷へと向かった。近くと言っても、駅から車で約一時間の郊外にあるその屋敷は、回りからは遮断されたかのようにポツンと一件だけそこにあった。
 十夜とお嬢を迎えてくれたのは、一人の初老の男性だった。額には幾本もの皺が刻まれ、眼鏡の下の瞳は、老人のものでも鋭かった。二人は応接室に通されていた。
「もうデータには目を通してもらったとは思うが、改めて言うと私の孫、十才のまひろを君達に守ってほしい。期日は私がこの家を留守にしている二十日間」
と老人は一枚の写真を二人に手渡した。
「まひろは多種の特別能力を持っているがために、その力を手に入れようとするもの達から狙われている。それらからまひろを守ってやってほしい」
老人は少しずつ話し始めた。
「それはどんな奴ら?」
お嬢が聞く。
「例えばどこかの研究所。まひろが捕まればその力は悪い方に利用され、とんでもないことが起こるかも知れん。まひろは歩く核兵器にもなりかねないのだ」
老人は上着のポケットから煙草を取り出すと、火を付けた。
「でもそんなすごい力を持っているのなら、自分の身くらい自分で守れそうなものだけど…」
と十夜が口を挾む。
「…まひろの力はまだ不十分。自分では使い方も分からず、コントロールもできないのです」
何か不服そうな顔をする十夜。
「俺達の命の保証はあるんでしょうね」
冷たい表情をして問う十夜。
「屋敷の回りにはあらゆる自動防御装置が付いています。よほどの事がないかぎり、君達以外この屋敷には入れません」
と二人はバッチを渡された。
「それをいつも身に付けていて下さい。それを付けていれば君達には防御装置は反応しません」
そこまで言うと、表で車のクラクションの音が聞こえた。老人は煙草を灰皿にもみ消すと、立ち上がった。
「私はもう行かなければなりません。どうかまひろをお願いします」
そう言うと老人はいそいそと部屋を出ていこうとした。が、立ち止まると
「それからまひろは二階の部屋にいます。君達の部屋はまひろの隣に用意しました。私の留守中、この屋敷を自由に使って結構です」
と口早に付け足し、部屋を出ていった。


       ***

 後に残された十夜とお嬢。車は屋敷を離れ、その音は次第に小さくなり、静寂だけが二人の側に漂った。
「うさんくさい…」
十夜が呟いた。
「え?何が?」
お嬢が十夜の横顔に聞いた。
ガタンー!
応接室の外で物音がした。二人は同時に立上がり、入口のドアノブを回した。すぐ側に二階へ続く階段があった。手摺の側には怯えた瞳の少年がいた。足が微かに震えている。目は二人に「あっちへ行け!」と叫んでいるようだった。
「怖がらないで。まひろ君だね。ぼくは山下かおる。お嬢って呼んでいいよ。今日から二十日間だけ君と暮らすことになってる」
お嬢は自分の身内にでも話しかけるかのように、ニコニコ笑いながらまひろに右手を差し出した。まひろの瞳が一瞬戸惑いの色を見せた。
「どうしたの?」  
お嬢は不思議そうに首を傾げた。それを見たまひろはそろりと左手を出した。二人の指先が触れた。とたんにまひろはお嬢の胸に飛び込んできた。驚いたお嬢は一瞬戸惑ったが、優しく微笑むと左手で肩を抱き、右手でそっと頭を撫でてやった。
「きっと寂しかったんだね。おじいちゃんと二人きりだったから」
お嬢は傍観者の十夜にふりかえって言った。
「知らない。まひろのお守りはお嬢に任せます。俺はお嬢と違って子供は苦手ですから」  
十夜はプイと顔を背けた。とたんに小さな視線を感じた。まひろが悲しそうに睨んでいた。
「お前なんかキライダ!」と言っているように見えた。
「ちぇっ」
分かってか分からずか、十夜は何だか仲間外れされているような気分になり、その場にいづらくなってしまった。
「お嬢、晩ご飯はてんぷらにしてくださいね。俺は二階の部屋を見てきます」
目線を反らし、ちょっと声を大きくして言うと、十夜は二階への階段を足速に上って行った。十夜の姿が完全に消えてから、お嬢はまひろの目線までかがんで言った。
「本当はね、悪い人じゃないんだよ、十夜は」
お嬢の笑顔にまひろは、やはり言葉では答えず、ただ悲しそうな瞳を反らしただけであった。


       ****

 最初の十日間、まひろを狙っているという奴等の動きは全くなかった。大きな屋敷で三人は普通に暮らしていた。その間まひろは、何ら能力を発揮する事もなく、また、言葉もその口からは一言も発せられなかった。
 お嬢は屋敷に据え置きされていたスクーターで、何度か外へ買い物に出かけていた。買い物と言っても一キロ先の小さな町に、食料品の足りない物を調達しに行くだけだ。屋敷の入り口から門までの約50m間、キリキリと首を動かしながら庭を監視するカメラと、小型レーザー砲か何かの発射装置が草木の影からその姿をほんの少し覗かせ、動くもの総てにその機械の目を光らせていた。老人の言う、特殊なバッチを付けていなければ、たちまち狙い撃ちされ、黒い焼死体となってしまうことであろう。
 その日は朝方から天気は優れず、雪がぱらついていた。お嬢はコートの襟を立て、白い息を吐きながら買い物から帰ってきた所であった。機械達は相変わらずその首を上下左右にと動かしていた。門をくぐり、玄関の数メートル手前でドアが開いた。お嬢が帰ってきて事を逸早く知ったまひろが飛び出して来たのである。瞬間、玄関への侵入者を防ぐための防犯装置がジジジ…と音を立てて作動した。
「あぶない…!!」
それに気付いたお嬢は持っていた荷物を放り投げ、走り寄るとまひろの体を全身でかばい、玄関の中に転げ込んだ。まひろの立っていた石畳とお嬢の荷物はジュッと音を立てて砕け、黒い煙が立ち上ぼった。
「何ですか今のは!?」
屋敷の中から飛び出してきた十夜は、裸足で玄関に降りると二人に駆け寄った。お嬢は眼鏡を外し、汗を拭き取った。
「驚いたー。防御装置がまひろ君に反応したんだよ」
お嬢はまひろを立たせると、服をパンパンと叩き、埃をはらってやった。
「そういえばまひろは例のバッチを付けてませんね」
十夜はまひろの背丈にまでかかむと、お嬢と一緒に服の埃をはらってやった。
「どうしてだろう…」
お嬢はまひろの顔をじっと見た。
「必要ないんじゃないですか?」
十夜は立ち上がりまひろの背中をポンと軽く叩いた。
「え?」
まひろは十夜の顔を暫く見上げると、屋敷の中へと駆けて行った。


       *****

「そ、それ、どういう意味…?」
お嬢は唾を飲んだ。そして自分でも分かっている答えを言い出せず、再び十夜に問い返した。
「…まひろが敵の手に渡るくらいなら…『死』を与えるしかないでしょう…?」 
十夜は淡々と言ってのけた。
「そんなことさせない…!そんなこと絶対…!!」
お嬢は怒ったように両手を握り締めて叫んだ。
「…もちろん…」
十夜は小さく呟いた。
 ここ数日、まひろは十夜にもなつくようになってきていた。お嬢の面倒見が良いのか、度々十夜にも笑顔を見せ、後を追うこともしょっちゅうだった。最初の頃は人差し指をまひろに向けようとしたことも何度かあり、その度に「だめ」とお嬢に止められていた十夜。忙しいからと疎ましそうに追い払ってはいたが、内心それ程嫌ではなかった。誰かに慕われるというのは案外心地好いもので、それをまひろもほんの少しだが感じ取っていたので、初めて会った時のような目はあれから見せず、逆に遊んでくれとせがむのであった。三人は立派に『家族』と化していた。
       

       ******

 嵐の前の静けさ…とでも言うのだろうか。老人との約束の二十日をあと一日残して、日が暮れようとしていた。部屋のカーテンを閉めながら、二人は何ごともなく日々が過ぎていったことを、喜ぶべきか否か、迷っていた。まひろの能力を確認したわけでもなく、また敵らしい姿も一向に現れず、この仕事の意味が、報酬の良さから言ってもどこにあるのか、考えれば考える程わからなかった。全ては老人が戻って来てからの事なのだろうか…。それともその直前に何かが起こるのか…。緊張の糸をゆるめることはできなかった。
 雪は降り出した日から、ほとんど止むことなく地上に舞い降りていた。
 その日、日付変更線を越えようとしたころ、車のエンジン音と乱暴に玄関のドアを閉める音とで、二人は目を覚ました。慌てて飛び起きた二人は警戒しながら玄関へと下りて行った。老人がそこにいた。
「とうしたんですか、こんな時間に!?」
老人の顔は青ざめていた。額からは玉のような汗が流れ落ちようとしていた。息は乱れていなかった。
「どうしたんですか!?」
今度はお嬢が聞く。約束の期日は確か明日。いや、すでに時計の針は午前十二時を三分少々回っている。
「尾行られた…」
玄関のドアに背をもたせかけながら、老人は二人に告げた。お嬢は玄関の鍵を落とし、十夜は門の見える応接室へと走った。門の外にライトを消した車が数台止まっているのがかろうじて見てとれた。雪は止んでいて、微かな月明りが雪に反射していたおかげである。
「あれは誰です?」
応接室に重い足取りを引き摺るように老人は入ってきた。
「…」
ためらいがちに頭を抱えながら、深くソファーに腰掛けた。
「…研究室の連中です…。まひろを…まひろを奪いに来たんです」
老人は語り始めた。カーテンの隙間からもれる月明り以外、光のかけらはどこにも見当たらなかった。
「私は一月前、まひろを研究室から連れ出しました。いくら研究のためとはいえ、やはり自分の孫にごちゃごちゃしたコードを何本もつけられたり、苦痛に顔を歪める孫を長く見てはいられなかったからです。最初の日に言ったとうり、まひろには多種の能力が備わっています。あれの父親もそうでした。そしてそれを人為的に最大限まで引き出そうとして、私は息子を死なせてしまったのです。しかし私は諦めなかった。その結果、自分の愚かさに気付いたのです。あれが、まひろが口を利かなくなったのです。まひろの能力は完全ではありません。私はまひろを研究室から連れ出しました。まひろには普通の子供と一緒の生活をさせてやりたいと。しかし、連中はそれを許してはくれませんでした。初めのうちはなんとか逃げおおせていましたが、気付かれてしまったのです。連中は執拗にまひろを狙い、奪おうとします。そして連中はとうとうここまでやって来ました。もう終りだ。私はまひろに何と言ったらいいのだ…」
老人は両手の中に顔を埋めた。
「あやまればいいじゃない」
さも当たり前のことのように、お嬢は言った。老人は顔を上げた。
「まひろ君は許してくれるよ…きっと」
お嬢は両手を老人の肩にそっと置くと、ニッコり笑った。
「私はまひろを助けたい…」
老人はお嬢の目を見て答えた。
 ふいに外が騒がしくなった。連中が動き出したようだ。庭の防御装置のオレンジ色の線がまず一人の侵入者の右肩を貫いた。次の瞬間その装置は爆発を起こし、一台、また一台と同じ様に火を吹いていった。連中は何らかの武器を携えているようである。


       *******

 屋敷の裏手でも爆発は起こり、応接室にもその振動は伝わってきた。
「何てことするんだ!」
お嬢が叫んだ。
「まひろは大丈夫か!?」
十夜が老人を促した。老人は振動にヨロヨロと足を運びながら、二階へと向かい、まもなくまひろを連れて二人の前に現れた。
 暫く爆発音が続いた後、それはピタリと止み、辺りからはコトリとも物音一つ聞こえてこなくなった。
「きっと屋敷の防御装置を全部爆破してしまったんだ」老人はしっかりまひろを抱きしめながら言った。
「いっそのこと全員洗脳して…」
十夜が右手を動かした。
「無理だよ、そんなこと」
お嬢は外にいる人数を確かめて言った。目で確認できただけで、十五人はいた。いずれも黒服にサングラスという、研究員らしからぬいでたちであった。雇われ者であることは一目瞭然である。
 突然、銃の爆発する音が聞こえた。連中は血の滴る右手を左手で押さえ、悲鳴を上げていた。
「殺しちゃだめだぁ!」
お嬢がまひろに向かって叫んだ。まひろは体を震わせていた。顔中に汗をかき、目は恐怖と怒りに打ちひしがれ、お嬢の怒鳴り声で我に返ると強く老人にしがみついた。
「ここにいちゃ、いつかは捕まってしまいます。とりあえずここを出なければ」
十夜はコートをはおると、三人にもそうするように急かした。
「裏にも車庫があります。そこまで行けば何とか逃げられるでしょう」
老人はまひろの手を引きながら、暗い廊下を急ぎながら、二人に告げた。
 裏口はキッチンの側にあった。ドアを開けると一面の雪景色が広がり、二台の車が収まっている車庫は十メートル程先にあった。運良くシャッターは開いていた。
 裏庭の片隅、植木の植え込みの側には黒く焼け焦げた機械の塊が点々と散乱していた。
 人影は無いようだった。辺りを慎重に見やりながら、まず十夜が駆けた。雪の上を走りにくそうに、車庫にたどり着くと安全を確認し、後の三人に合図した。お嬢、老人、まひろの順に三人は十夜の合図に従った。先頭のお嬢が回りを気にしながら二人を導いた。
ジュッ!
まひろの足元の雪が光を弾いて濛々と蒸気を立てた。
「あぶない!」
十夜が叫び、お嬢と老人の足は自然に動き、車庫の中に転がり込んでいた。まひろは反動で尻餅をつき、その場に取り残されてしまった。
「まひろ!」
飛び出そうとした老人の腕をつかみ、十夜が止めた。植え込みの中から、数人の男達が現れた。
「まひろー!」
お嬢が叫んだ。まひろは立ち上がると、車庫の方へ駆け寄ろうとした。
「お…じょー!」
まひろは両腕を大きく広げて叫んだ。言葉を発したのである。お嬢の顔が一瞬パッと喜びに輝いたかと思うと、次の瞬間それは悲痛な悲鳴と共に消えてなくなった。まだ微かに生きていた防御装置が、一筋の光線を吐き出したのである。それは見事にまひろの左胸を背中から貫いたのである。
 まひろは石にでもつまづいたかのように倒れ、そして起き上がらなかった。白い絨毯をまひろの血が真紅に変えていった。連中は「チッ」と舌打ちすると、すんなりと引き下がって行った。彼等の任務は、「生きたままのまひろ」を連れ帰ることにあって、死んでしまったまひろには何の価値もなく、従ってこれ以上その子供に関わりあう理由はもはやなくなってしまったと言うわけだ。
「ま…ひろ…?」
連中が去って行ったことも確認せず、お嬢は恐る恐るまひろに近付いて行った。そしてまひろのことを確認すると、ガクリと膝をついた。そしてまひろの上半身を抱き起こすと、強く抱き締めむせび泣いた。十夜は二人の側をたたずむだけで、何も言えなかった。言えたところで、どんな言葉も慰めの言葉にはならなかっただろう。
「まひろ…」
老人は力なく呟いた。
 月はその姿を隠し、墨色の空から再び綿帽子のような雪を降らし始めた。それはさながら白と赤の二つの花が咲いているかのように見えた。
 お嬢と十夜の仕事は終わった。


       ********

 翌日二人はそれを知らされた。まひろが死んではいなかったことを。
 まひろを守るためにはああするしか他なかった…と老人は言った。その老人の横でまひろはしゃんと立っていた。傷はどこにも見当たらなかった。

 「俺たちはうまいこと利用されたってわけか」
帰りの列車の中で十夜は呟いた。その顔には腹立たしさや悔しさの影は微塵も見当たらず、口振りは穏やかだった。
「そうかもしれない…でもこれで良かったんだと思うよ。『まひろ』はもう死んだんだから誰も追ってこない。あの子はこれから自由に生きて行けるよ。言葉だって生き返るよ」
お嬢は目を閉じた。まひろの笑う顔が見えた。『お嬢、お嬢、ありがとう…』その笑顔は繰り返しそんな言葉をお嬢に投げかけていた。お嬢は目を開けた。
 流れていく雪景色を窓の外に見ながら、「お弁当食べる?」とお嬢が駅弁を取り出した。
「食べる!」
と十夜は包みを一つ受け取った。
 雲行きは良く、明日の天気は保証されたかのように雲間から太陽が覗きこんだ。二人を乗せた列車は、車体に薄く積もった粉雪をその太陽の光にきらめかせながら、一路、東京都内へとひた走っていた。


END