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夏に御用心

夏に御用心

 ここは都内の某高級マンションの一室である。
 マンションの東側に隣接されている公園では、無数の蝉たちが大合唱し、太陽はサンサンと照りつける中、雲一つ無い空に風は穏やかに吹いていた。そんな風景とは遮断されたマンションの25階の2510号室、表札は「N.柳生」となっていた。
 夏休みも初めの頃、ナスティの別荘へ避暑へいく予定の六人が、事前にマンションにおしかけてきた。伸が都営のファミリープールの入場券を入手したので先にそちらへ行こうと言うのだ。
 クーラーのきいた部屋で七人はくつろいでいた。
「ナスティー、何か冷たいものないのー?」
最初にねだったのは秀であった。
「何もないわよー、明日から当分ここ空けるから、冷蔵庫の中ほとんど空っぽよー」
と荷支度をしながら隣の部屋からナスティは叫んだ。
「あ、そうだ」
思い立ってナスティは伸を呼び、二人はキッチンに消えた。
シャカシャカシャカシャカ…
しばらくして誰かさんが間違って出てきそうな、心地好い音がキッチンから聞こえてきた。その音を聞いて秀も純もキッチンへ走った。五分後、イチゴシロップのたっぷりかかったかき氷がテーブルを飾った。
「やったねー」
と当麻も嬉しそうだった。が、目の前に氷イチゴを置かれ遼はのけ反った。
「あ、ごめん、遼氷だめなんだったわね」
「何?いらないんだったら俺が食ってやるぜ」
と秀が遼の分を引き受けた。
「しかし、かき氷が苦手とはまた…」
上品に氷を口に運びながら征士が言った。
「氷って頭にキンとくるだろう、だめなんだ俺、そういうの」
顔が少し引きつりながらも懸命に笑っている。
「あーっ、きたきたきた!」
秀が足をバタつかせた。一気に食べたものだから思い切り頭に「キン」がきたのである。「オレンジジュースも切らせてるし…イチゴシロップでも飲む?」
シロップの瓶をでん、と遼の目の前に置き、明るい笑顔でそんな冗談を言ってのけるナスティ(本気だったりして)。
「あ、そうだ」
再び思い立ち、キッチンへ向かうナスティ。
「これあったの忘れてたわ」
ナスティはコップ一杯のジュースを遼に出した。
「何、これ、紅茶?」
コップを片手に紅茶色した液体を見つめて言った。
「甘くて美味しいわよ、冷たいうちにとっとと飲んでみてよ…一気にね!」
目が微かに笑っているナスティに促され、遼は恐る恐るそれを口にした。
 ゴク…
12の目が遼に注目する。
 ゴクゴクゴク…
半分くらいまで飲んで遼はぶっ倒れた。
「ナ、ナスティ!遼に一体何を飲ませたんだよ!?」
驚いて伸がナスティに突っ掛かった。
「な、何って…」
ナスティは言葉に詰まってしまった。
「遼、遼、しっかりして!」
伸は遼を抱き上げ、懸命に声をかけた。
「ん~頭が痛い~キンキンするよ~!!」
遼は半分泣きそうになりながら頭をかかえた。
「なんだこれ、冷やしあめじゃないか」
遼の飲みかけのコップに口をつけた当麻が言った。
「冷やしあめ…」
言って吹き出したのは秀であった。征士も笑い出した。
「ナスティーひどいよ」
と遼がまだ頭をかかえながら言った。
「ご、ごめんね」
自分も吹き出しながら謝った。
「これってけっこうきくんだよなー」
と当麻が残りの冷やしあめを全部飲み干した。
「そんなにきくのか?」
征士が聞くものだからナスティが冷たいのを一杯、差し出した。それを一気に飲み干した征士は間髪入れず、無言で頭をかかえその場にしゃがみ込んだ。全員が大爆笑した。  
「ささ、みんなもう片付けて、プールへ行っちゃいましょうよ」
笑いが止まらないまま、ナスティがみんなを促した。


「しかしあれだなー、”芋を洗うよう“とはよく言ったものだ」
征士は辺りを見回して言った。
「そりゃそうだろう、天気はいいし夏休みとくりゃ子供で一杯だよ」
と当麻。
「俺、腹拵えしてから入るわ」
と秀が一人群れから離れて「ヤキソバ」の屋台へと楽しそうに向かって行った。
 ここは某都営プール。子供用、レクリエーション用と大小合わせて七つのプールがある。しかしどのプールも子供連れの親子で一杯で、なかなか思うように泳ぐことが出来なかった。潜ろうものならたちまち複数の足で蹴飛ばされ、白目をむく有様だ。ナスティはナスティで、せっかく新調したハイレグの水着と、自画自賛のプロポーションを自慢しようと目論んでいたのにもかかわらず、鎧戦士達はもちろん、他の一般の客にまで見向きもしてもらえず、一人涙をのんでいた。
 征士は黒いサングラスをかけ、プールサイドで「日本の夏」を満喫していた。そこへかろうじてプールの中でビーチボール遊びをしていた遼と当麻が上がってきた。
「あれ、秀は?」
辺りを見回して遼が征士に尋ねた。
「まだ屋台の方をうろついているのであろう」
体にオイルをぬりながら「背中を頼む」と当麻にオイルの瓶を手渡した。
「伸は?」
征士の背中に嬉しそうにオイルをぬりながら当麻が尋ねた。
「流れるプールへ行くと言っていたぞ。伸は私たちの中では一番泳ぎが上手いからな」
「なんたって水滸の伸だもんなー」
ハッハッハッー。全員が意味なく笑った。

 所変わってここは流れるプール。こちらも他と変わらず、うじゃうじゃと人間が泳いでいる。一周が百メートルある流れるプール、水は穏やかに流れていた。
『どんな流れだって僕は泳いでみせるさ』
水滸の伸は自分に浸りながらプールに飛び込んだ。束の間、人の手足にぶつかり、予定通りに泳げなかった(どうゆう予定だ?)。ならば!と潜ってみたが、沢山の人の足元をぬって泳ぐことは難しかった。
『くそう…水滸の伸ともあろう者が…』
伸は水面に顔を出した。背後から何かが迫ってきていた。その影が大きく伸の頭上から覆いかぶさった。
ゴボッ…!
一瞬の出来ごとであった。頭の上に突然大きくて重いものが覆いかぶさってきたのである。わずかに目を開けて頭上にのしかかる物体を見た。腹は黒かった。その物体の下でもがき苦しむ伸。あまりにも突然の事だったので心臓がはち切れんばかりであった。真剣に死ぬかと思った。口から空気が漏れ、空気を求めて水面へ出ようとしたが凹凸のある物体に体を押さえ込まれ、身をよじらすほかなかった。不意に頭上が軽くなり、物体が頭上を通り過ぎたことがわかった。
「ぷはぁっ!」
伸は水面に浮かび上がると口を顔の半分くらいにして空気を吸った。前方を見ると、数人の若い男女を乗せた黄色いゴムボートが流れていくところであった。
『こ、こんな所でゴムボートなんかに乗るな~!』
ゴムボートは回りの人々の迷惑も顧みず、楽しそうに流れていった。伸の頭から覆いかぶさってきたものの正体はゴムボートであった。いっそ超流派を見舞ってやろうかと思ったが、はたと我に返った。
「お、溺れてしまった…」
顔面蒼白、顔に何本もの垂れ線を引きながら伸は呟いた。
「水滸のしんともあろう者が、都営プールで…溺れてしまった…」
伸の体はわなないた。


「あれ、伸もう泳がないのか?」
流れるプールから戻った伸は、征士の横で膝を抱えて座っていた。
「えっ!あ、うん…ちょっと疲れたから」
顔を引きつらせ、ビクビクしながら伸は答えた。
「なら荷物の番をしていてくれ、私も少し泳いでくる」
征士が立ち上がった動作でさへ伸は体を強張らせた。
『知られちゃいけない…”水滸の伸“がプールで溺れたなんて…知られちゃ…』
伸はショックのあまり念仏でも唱えるようにぶつぶつと繰り返した。

「伸の奴、どうしたんだろう…」
伸の様子を見て遼が心配そうに呟いた。
「じっはさぁ…」
いつの間に戻ってきたのか、秀が、征士、遼、当麻の前にすごすごとやって来た。うどんを頬張っている時に偶然見てしまった惨劇(?)を秀は三人に話して聞かせた。
「ほう、それはおもしろい」
興味深げに頷いたのは征士。ニヤニヤ意地悪そうに笑ったのは当麻。そんな二人の危険な雰囲気を察知して「可愛そうだよ」と止めに入ったのは遼。遼以外の三人はそろそろとプールサイドへと近付いて行った。

 蝉の声は空高くこだまし、人々は水遊びに熱中した。折しも真夏の太陽が降り注ぐ昼下がりの出来ごとであった。


おわり